2011/05/30

WTK2寄稿者紹介14(稲葉なおとさん)

稲葉なおとさんとはベーグルを食べながら打ち合わせをしました。

稲葉さんとはつい先日、○○研究会(と称したごく少数での親睦会)でお会いしまして、そのさい「いったい私たちはいつから知り合いなのか?」について確認しました。おたがい、高校時代からだとばかり思っていましたが、どうも正確には、共通の友人を介して浪人時代からのようだなぁ...それにしても、光陰ウサイン・ボルトの如し。

でっ、その会の後半、研究課題そっちのけでついつい音楽話(相手が音楽好きだと俄然張り切っちゃうのです、私)。中学生のころ流行っていた洋楽を思い出していて、稲葉さんが曲は覚えていてもミュージシャン名を記憶していなかったのは、ラズベリーズ。でも「Go All The Way」も「Let's Pretend」も「Tonight」も、みんないまでも口遊めそうじゃないですか〜。あっ、「Overnight Sensation (Hit Record)」は覚えてなかったみたいで、それはちょっと残念だったなぁ...それにしても、同じラヂオの音を聴いた仲。

そんな稲葉さんの渾身の長編小説「0マイル」文庫版の解説で、重松清氏は以下のように書いています。ちなみに同作品は、父親と息子の二人きりのアメリカ旅行を描いたもの。

「(前略)この物語はスタイリッシュではあってもキザではない。美しい情景の数々も決して絵葉書のような平板なものではない。主人公や旅のルートは世の父親がうらやむ設定でも、物語そのものには、甘ったるさは微塵もないのだ。/この旅に満ちているのは、後悔、やるせなさ、持って行き場のないいらだち……。/苦い旅である。なにをやっても、なかなか思い通り進まない。息子との関係も、すぐにぎくしゃくしてしまう。/その苦みを噛みしめることから、僕たち読者の『読む』という旅は始まる。」(「0マイル」文庫版P521より引用)

稲葉さんが寄稿してくれた「ニューヨークの流れ星」は、重層的な構造のなかに寓話性を持ち込んだ、チャレンジングな作品。世界中を旅して数々のホテルに滞在し、「まだ見ぬホテルへ」「名建築に泊まる」といった著書をものしてきた(写真も)稲葉さんにとって、ニューヨークもまた自分の身の丈にあった町なのでしょう。当ブログのどこぞに記されている「WitchenkareはKitchenwareのアナグラム。身の丈にあった生活まわりの文芸創作(後略)」という一文に、ぴったりではないですか! そして、この物語においても重松氏の解説はまことに的を射たものでありまして...ほんと、稲葉さんは知り合ったころからずっと変わらず、磊落にしてセンシティヴ〜。


「何か質問は?」
 訊かれて思い浮かぶことがあった。肝心なことを確認しておかなければ。
「合格かどうかは……?」
「三人目の仕事をきみが終えた時点で空を見上げれば、そこに合否が描かれるはずだ」
 やはりそうなのだ。以前、同僚からも聞いたことがある。光の点が下降すれば、それは「否」を意図する。上に向かって流れれば、「合」を表わす。
 遠い昔の人間たちは、地平線に向かって尾を引く光が、我々の失意につながる知らせであることを知っていた。だから、気落ちする見習い天使を励ますために手を合わせてくれたのだ。それがいつしか行為そのものが履き違えられ、手を合わせる人間自身の願いを叶えるための儀式にすり替わってしまった。
 願いを叶えてもらうためには、光が消えるまでに三回願いごとを唱えなければいけない。
 そんなことが、一部の人間の間でまことしやかに囁かれているようだが、わたしにいわせれば、不合格通知に向かって自分の願いごとを、それもよりにもよって三回も唱えるなど、愚かな行為だ。
 わたしが人間であれば、「否」の知らせではなく、遥かに眼にする機会の少ない「合」の知らせに向かって、たとえその光が消えたあとでも手を合わせるだろう。
 理由? 見習いから“正”に昇格したばかりの天使の浮き立つこころが、つい揺り動かされてしまうかもしれないからだ。自分の合格を祝ってくれているようにも見えるその人間に対しては、ひとつくらい願いごとを叶えてあげてもいいかな、と。
「では、幸運を祈る」
 先輩はいい残すと、ふわりと身体を浮かせた。

〜「Witchenkare vol.2」P185より引用〜

2011/05/28

WTK2寄稿者紹介13(藤森陽子さん)

藤森陽子さんとは冬の焼きりんごを食べながら打ち合わせをしました。

『Hanako』『BRUTUS』といったマガジンハウスの雑誌、Webサイト(Cafe glove.comの旅コラム「旅の肌ざわり」)などでライターとして活躍中の藤森さんは、いつお会いしても忙しそうで、そして(...「そして」じゃなくて「それなのに」かな?)はつらつとお洒落。あっ、なんだかいきなりややこしい書きっぷりで申し訳ありませんが、いやね、ふつう、そんなに忙しかったら「見た目も体調もボロボロ」でもいいんじゃないの、とか、思いません!? ところが藤森さんは「忙しい」と「お洒落」を両立させてしまうタイプ、輝きながら働く女性!

たぶん、たとえば優秀なスポーツ選手が傍観者にはキツそうにしか思えない状況なのに自己の能力と他者への魅力を最大限に発揮しつつ「ゲームを楽しんじゃう」ような、そんなことができる人なのだと思います、藤森さんは。だから、きっと天職なんだろうな〜、見知らぬ人と出会ったりステキなものを発見したりして自分の文章で伝える、取材スタイルのライター仕事が。社会にコミットしてる感じで、羨ましいな〜。

そんな多忙な藤森さんは近年、プライベートでは『藤花茶居』の屋号を掲げて台湾茶ケータリングを楽しんでいます。つい先日も製茶したての春茶を買うため、台湾の坪林郷、杉林渓、鹿谷郷へと。現地で仕入れた新茶をお披露目するため、来月再来月には都内各地で茶会を開く予定なのだとか。な、なんと、仕事疲れのリフレッシュでも人(たぶん見知らぬ人も含む!?)と会うか! 私なんか忙しい仕事が一段落したら、絶対ひとりになりたいか、まあ会うとしてもよく知ってる人なんだけれど...って、私と比較することではありませんが...しかし藤森さん、たとえ夕暮れの浜辺にぽつんと座っても、見知らぬ蟹や巻貝と出会ってコミュニケってるんですか〜(意味不明)!?

藤森さんが寄稿してくれた「接客芸が見たいんです。」は、ご自身の取材体験で日頃から強く感じていることなのでしょう。いや私、若い時分にひとりでメンフィスにいったことがありまして、でっ、夜遅く辿り着いた、小さなホテル。チェックインが済むとオーナー(老婆)がにっこり「ようこそ、メンフィスへ!」と労ってくれまして、そのなんでもないひとことが旅心に響いたもんだったよ。これがサザン・ホスピタリティってやつか、と。


 飲食店の話ばかりしたけれど、この辺でホテルのことも書かないと。ホテルこそプロフェッショナルな接客術を思う存分堪能できる場所。初対面なのに宿泊客である自分を緊張させず、親しげで、かといって馴れ馴れしくはなく、瞬時に寛いだ気分にさせるあの絶妙の間合い。
 荷物を運ぶポーターさんなんて、エレベーターで客と2人きりになっても実にスマートに沈黙を埋め、さらにそのまま部屋の中に入っていくなんて事までやってのける。人見知り気味だった駆け出しライターの自分にとって、それはE難度の離れ業を見る思い。なので、どうにかインタビュー術を上達させたくて、ホテルの人の立ち居振る舞いや会話のテンポ、客との距離のとり方を観察して自主練に励んだ過去があるのだが、思えばこれが今のような接客マニアになったきっかけだったようです。

〜「Witchenkare vol.2」P163より引用〜

2011/05/24

WTK2寄稿者紹介12(吉永嘉明さん)

吉永嘉明さんとはドライカレーを食べながら打ち合わせをしました。

吉永さんの著書「自殺されちゃった僕」は数年前に単行本で手に入れ一晩で読了...その後、文庫版も買い直し。というのも、文庫版に新たに加えられた解説(あとがき)は精神科医の春日武彦氏が書いているのですが、私はかつてこれほど著者を酷評している文章が同載された本を他に知らない。そこまで言うなら解説なんて引き受けなきゃいいのに、というのが最初に私の抱いた印象、でもいまでは同載されていることがこの本の...mmm、言葉選びが難しい...“魅力”のような気もしたりして。幻冬舎アウトロー文庫の編集者のセンス、恐るべし!

「本書の原稿のダイジェスト版をある出版社の女性編集者に見せたことがある。/彼女は『私は早紀さんを知りません。そういう他人の立場から言うと、この原稿に書かれている早紀さんを好きにはなれないですね。オヤジに依存しバブルに踊り、生きにくくなったら死んじゃう。はっきり言って同情できません』/そう、冷静に見れば早紀はとてもわがままだった。/でも、彼女がわがままであっても、僕の愛は変わらないのだ。どんなに自分勝手であっても、僕には『かわいい早紀ちゃん』なのだ。女性編集者が冷静でいられるのは『愛』がないからだ。」(「自殺されちゃった僕」文庫版P168〜P169より引用)

上記部分について、春日氏の解説は「わたしも女性編集者と同意見」としたうえで、「ここで愛を持ち出してしまったら、もはや『ああそうですか』としか答えようがないではないか。まともな物書きであったなら、愛などという身も蓋もない言葉は持ち出すまい。」と...。しかし、私は「自殺されちゃった僕」のなかのこの文章にやられてしまったのです。吉永さんって、きっとむかし観た「ラスト・オブ・モヒカン」のホークアイ(ダニエル・デイ=ルイス)みたいな男にちがいない! それで、吉永さんの友人であるWitchenkare vol.2寄稿者・木村重樹さんに熱烈アピールしまして...それで、ドライカレー。

吉永さんが寄稿してくれた「ジオイド」は、ご自身初の書き下ろし小説。「もし小説書くなら石田衣良みたいなのね、って知り合いの編集者にはまえから言われてたんだけど...」なんて言っていた吉永さんから送られてきた原稿を、私はちょうど定期検診だったので病院の待合室で読みました。出がけにプリントアウトしたA4横書きの文字を追いながら、ちょっと、ドキドキした...これが文才ってものなのか、と。そしていまは、この物語の続編がたまらなく読みたい気持ちです〜。


「ちょっと話変わりますけど私、高森さんのタイトルとかリードのつけ方が好きなの。例えば、この間編集してた快感特集のムックの中で『おもらしの快楽』ってあったでしょ。あそこでサブタイトルに『ときにはあきらめちゃえ!』ってつけるなんていいなと思ったの」
 キミの言葉に僕は少し気恥ずかしさを覚えた。ふと鶴田を見るとジョイントを巻きながらにやにやしている。僕は少し照れながら言った。
「鶴田には異論があるようだよ」
「まあ、一口に本っていっても傾向はさまざまだし、俺と高森が作る本はまったく別物だからな。比べられないよ」
「どうせ偏差値が違うっていうんだろ。そう言えばみどりさんは、鶴田と同じ会社なんですよね。どうですか、彼、ちゃんと働いていますか?」僕は言った。
「そうなんです。先輩なんですよ。でも彼って社内では変わり者なんですよ。あんまり会社にもいないし」
 僕は、頷いた。
「そりゃあそうでしょ。インテリのくせに僕なんかと遊んでいるようじゃね。そう言えば今日の面子は、僕以外はみんなインテリだね。ハナにかけないから別にいいんだけどさ」
 すかさずキミが言った。
「そういう高森さんだって、ぶってないだけで独自の感性のひらめきには感心してるんですよ」
「あんまり理解者は多くないんだけどね。ただインテリには家庭内において言わば免疫みたいなものがある。父と兄が東大(ケッ!)だし。だから話すのには慣れているんだろうね」
 またもやキミが言った。
「高森さんの仕事のいいところは、けっしてインテリには作れない本を作れるというところ。あまりにも激しい思い込みが暴走した時でも言ってることは間違ってないんですよね。ちょっと極端ではあるけど本質的。私は、自分がそういうタイプじゃないので、ちょっと尊敬してるんです」
 僕はそんなに話し込んだこともないのに、キミが僕のことをかなり理解していることにちょっと驚いた。しかしまあ理解されるというのは悪くない。それだけ関心をもってくれているということだから、やっぱり嬉しいものだ。
 僕は事務所備え付けのCDラジカセでジャーマン・トランスをかけた。僕も鶴田もジャーマンが好きなのだ。ジャム&スプーン、スヴェン・バース、コズミックベイビー……。
「これはなんて言う音楽なんですか?」キミが僕に聞いてきた。積極的に興味を示す表情をしていた。
「ジャーマン・トランスって言って、ゴア・トランスが出てくるちょっと前にヨーロッパのレイブ・パーティなんかでかかっていたものなんだ。基本的にはボーカルの無い4つ打ちのダンスミユージックなんだけど、ハイハット音の泣き音色が心の琴線に触れてジーンとくるのがたまらない快感なんだ。みもふたも無い言い方をすると、LSDを摂取して踊ることを前提とした音楽だね。これはちょっと分かりづらいだろうけど、ジャーマン・トランスの曲は〈まがっている〉んだ。LSDが入っていると、その〈まがり〉にシンクロして脳をもってかれて大変なことになるんだよ」

〜「Witchenkare vol.2」P152〜153より引用〜

2011/05/21

WTK2寄稿者紹介11(野上郁哉さん)

野上郁哉さんとは音楽っぽいカフェでお茶を飲みながら打ち合わせをしました。

野上さんとは昨年の秋に「ミニコミが語り合う会」(現在は「リトルプレスの会」)の集いで知り合いました。同会の金安顕一さん(中南米マガジン)、渡瀬基樹さん(漫画批評)から、まだ1号ぽっきりしか発行していなかったウィツチンケアも「参加しませんか?」と誘っていただきまして、それで、丸腰で出かけた宴の席で出会いました...会ってすぐ、音楽話。あっというまに時間が経ってました。

野上さんは「Oar」(おあー、と発音)という音楽雑誌の編集長。事前に同誌のブログを覗くと、これ、いったいどんな人がつくってるの〜!? な異国感が芬芬でして(正直、私は頭にターバンを巻いた150キロの巨漢編集長をイメージしてた、外国人であってもダズントマター)、それなのに、目の前に現れた男はまだ少年の気配を残す、スリムな青年でありまして...あっ、ここで正体を明かしてはいけないのかな? ブログのプロフィール欄には、「現在は某大学の大学院でスーフィズム(イスラーム神秘主義)の研究をしているとか、いないとか。」と記されています。

相手が音楽好きだとわかると俄然張り切っちゃう私は後日、こちらから野上さんに連絡して再会しました。寄稿依頼のはずが、また音楽話〜CDの貸し借りにCD-R送付、という展開...。そして時は流れてWitchenkare vol.2の締め切り日、届いた原稿はまさに野上さんらしいものでした。「野上さんらしい」とは、詩的リズムの文体がすでに確立しているというか、他者が真似したり手を入れたりしにくいというか...ええと、もっとわかりやすくたとえますと、たとえばビートルズの「Happiness is a warm gun」の後半にたたみかけるあの感じは、まあ、ポリリズムみたいな分析もできるのでしょうが、でもやっぱり「ジョン・レノンの曲だよね〜」と丸かじりしちゃうのが一番しっくりくるという...って、全然わかりやすくないじゃん!

野上さんが寄稿してくれた「天使になんてなれなかった。」は自伝的エッセイとでも言いましょうか...。「僕のこと、あんまり褒めないでくださいよ」と代々木公園での花見で会ったさいにも野上さんは笑うのですが、しかし、私がすっかり失ってしまったものを野上さんは持っているわけで、それは、若さ...そうですか、御母堂様がオレと同い年〜。


 高校時代はただひたすらに音楽に明け暮れる毎日。先輩の紹介で出会った別の高校のギタリストと一発で意気投合し、オリジナルのロック・バンドを結成することになった。バンド名は「Leall(りある)」。色々な名前の候補が挙がったが、その中から彼自身が考え出した案が採用されることになった。今になって思うと、なぜ「Leall」なのかよく憶えていない。恐らく、英語のRealが元になっているのだが、感覚的にいって「Real」では字面を見たときに面白みが無いということと、GLAYのように文字ってみたいというのがあったのだろう。それからの日々の楽しかったこと。全ての自分の人生をそのバンド、及び音楽に捧げきっていた。

 高校2年の春、また一つの恋をした。きっかけは友人を介してだったが、Leallのライヴを見てどうやら彼に興味を持ったらしい。連絡を取り交わすようになり、程なくして付き合うこととなったが、3ヵ月後にはフラれた。向こうから告白してきたにも拘らず、だ(苦笑)。そのときに言われた言葉は今でもよく憶えている。

 「好きなのかどうか解らなくなった」

 そのとき彼は一つの悟りを得た。「諦め」の悟りを。この世の中にはいくら頑張ってもダメなことがあるのだな。ダメなものはダメなのだな、と。高校2年の、なついあつ……もとい、暑い夏だった。
 彼はこの経験をもとに一つの詩をものした。タイトルは『雨と苛立ち』。

〜「Witchenkare vol.2」P140〜141より引用〜

追記
野上郁哉さんは2011年7月24日に亡くなりました(下記参照)。ご冥福をお祈りします。
http://witchenkare.blogspot.com/2011_07_01_archive.html

2011/05/18

WTK2寄稿者紹介10(浅生ハルミンさん)

浅生ハルミンさんとはマルゲリータ(ピッツァ)を食べながら打ち合わせをしました。

今号でも書き下ろし小説で、できればいままで書いたことのないようなテーマで...そんな私の依頼に、浅生さんは見目麗しくYESの返事をくださいました。ハルミンさんといえば世の中では猫、読書、最近ではこけし? ええ、ウチでもそれらのテーマで書いてもらえれば、ついでに作画なんかもお願いしてみると、ウチの媒体PRや売り上げにも...、とは考えないのがWitchenkareなのであります!

すでに仕事として成立しているものは、それに相応しい舞台で発表されるべき。小誌は実験的に種を蒔いてみるような、未来への試しの場に使ってもらいたい。ちょっとまえの流行りことばで言うといかにも「持ってる」って感じの浅生さんですが、ねえ、じつはまだまだ持ってるでしょ!? それをチラッと見せてみてくださいよ、とそんな思いで無理なお願いごとをしてみたのです。そして、もし芽が出て莟がほころびそうになったら、きっとまたそれに相応しい舞台が、どこかに用意されるはず...。そういえば、いつだったか「桂馬が効いてますね」と浅生さんに話したことがあったなぁ。いや、私は将棋、こどものころちょっとやっただけで全然下手くそなんですが、うまいやつになにげに桂馬で王手されて、逃げたらその桂馬が(あの独特の動きで)金に成ってさらに追い詰められて、「...参りました」と。

今回の作品を読んでドキッとした人がいたら、もう一度浅生さんのイラストを見てみるといいのかも。あのぱっと見ほんわかした画風は、ものすごく精緻に構図を捉えています。対人関係でもしっかり透かしてるんだなぁ、相手の外見も内面も。そのうえで、いつも気さくで聞き上手で奔放トークでも返り血を浴びなさそうな雰囲気なのは、つまり「ちゃんとした大人」ってことですNE。

浅生さんが寄稿してくれた「ひそかなリボン」を、ご自身はブログで「黒いです。」と書いています。たしかにね...。あっ、でも私は「暗闇の向こうを目指す再生の物語」と読んだな。そして、ブログの同記事内で紹介されている、「すばる」5月号掲載の「記憶をなくす」という紀行文は、私がいままで読んだ浅生さんの作品で一番好きかもしれない、すばらしいものでした。


 好笛から連絡をとらなければ陽治から電話がかかってくることはなかった。しばらく会っていない時間が過ぎて、ある日、好笛は陽治が個展を開くことを人づてに知った。最終日に雑踏を抜けて会場に急いだ。陽治が姿を見せて、「好笛しゃん。よくお越しくださいました。帰りに夕ご飯でも食べません?」と誘ってきて、久しぶりに食事をした。駅から少し離れたところにある、小さなカウンターがあって小綺麗な盛りつけが得意な料理店を好笛は選んだ。個展のお祝いだからご馳走すると言って。
「好笛しゃん、お仕事順調ですか?」
「はい、順調です。昨日も徹夜で大変だったぁ」
「あなたのようなお仕事は、お金をもらってなんぼですから」
 好笛は何も云わず小皿にすだちを絞った。わたしにとってのお金の意味は、あなたにとっての自分を助けてくれる人と同じよ。銀行口座に振り込まれるか、こんにちはって歩いてくるかの違いよ、と好笛は口に出さずに抗った。
「あなたと僕は似ているんですよ。僕はあなたと話していると緊張する。人を怖れているところがあるんですよ。僕たちふたりとも受け身ですから。一緒にいても何も面白くないんです」
 陽治は態度の悪い生徒を諭す生活指導の教師のような口調で言った。
「そうですね。似てますね」
 もうわたしの成績はついちゃったんだ。わたしは不合格だったんだと好笛はうつむいた。このひとは自分と似ているひとは嫌いらしい。そう思った途端、陽治のことが墓石のように見えた。好笛がお手洗いに行っている間に会計はすでに済ませられていて、そのことも好笛には淋しく感じられた。
 最寄りの駅まで歩くうちに、陽治はまとめるように話した。「今日会えてよかったです。もうこれで僕もお仕事から卒業ですね。本当にありがとうございました。僕も不器用なたちで、終わらないと次に進めないですから」
 陽治は好笛に握手を求めた。握手をしたらもう終わりだ。好笛はゆっくりと、まるで朝顔の蔓が一晩で成長する映像のスローモーションのように、ゆっくりと右手を差し出した。夜空のむこうで誰かを乗せた飛行機がゴーッという音をたてて通り過ぎていった。そして好笛はひとりになった。

〜「Witchenkare vol.2」P130〜131より引用〜

2011/05/16

WTK2寄稿者紹介09(友田聡さん)

友田聡さんとはそっぷ炊き風の鍋料理をつつきながら打ち合わせをしました。

友田さんが主宰する“暮らしのリズム”のブログは2005年7月から続いています。小誌が完成した2時間後に起きたあの地震後、最初の書き込みは2011年03月20日。「旧二月十六日。月は早朝に満月となりました。4時9分には19年ぶりに月と地球が接近し、それに先立って3時10分に南中時今年最大の視直径、つまり明るく大きな月、スーパームーンを迎えました。部屋に差し込む月明かりが眩しいほどです。晴れていれば灯りの無い場所でも、この月の灯りでほんの少し不安がぬぐい去れるのかなと、ふと思いました。」...。

ったくもう、今回の震災は、友田さんが“暮らしのリズム”での活動で提唱してきた「日本式スローライフ」を、至極まっとうなものだと思わせてしまいました。みんないまごろになって、と友田さんは内心忸怩たる思い!? いや、太っ腹の友田さんのことだからそんなふうには考えないだろうな。きっと自身が実体験で会得した「こんな時代の暮らしかた」を実践するための、イベントアイデアなんぞを練っていることでしょう(お人柄は上記引用文の最後の部分からも伝わってきます)。

しっかし思い返してみるに、震災直前の世の中って、ほんとうに聴牌な雰囲気が蔓延していたように感じられました、私には。世相を映しているんだろうテレビを眺めていて、ひとつよく覚えているのは、なんだかやたらと「オネエな人」が活躍していて、それで、そういう人たちがけっこう「まっとうなもの言い」を担当していたりして、では、それでは「オネエではない人」はいったいなにをしたり言ったりしていたのかというとサンシャインと「第2の太陽」をバックに「エスキモーに氷を売る」ようなことばかり...あっ、なんで私はこんなところでぼやいているのか〜!? そんな世相にしか目がいかなかったおのれは(以下略)...。

友田さんが寄稿してくれた「ときどき旧暦な暮らし」を読んで、そういえばWitchenkareをつくろうと思い立ったのは満月の寒い夜だったなぁ、と思い出しました。月の光は人間の記憶も深く照らすのかな? そして、スーパームーンの日は、私はなにをしていたんだろう...たぶん、憑かれたようにテレビとネットにかじりついていて、夜空を見上げる心の余裕など微塵もなかった。


(前略)つまり、いい雰囲気を醸し出していながら、実はあまり役に立ちそうもない暦が旧暦なのです。ではなぜ、そんな旧暦に惹かれてしまうのでしょうか。
 ひとつは「旧暦を知れば月と仲良くなれる」ということです。旧暦の日付がわかれば、月は今どんな姿をしていて、どこにいるのかがだいたいわかり、その反対に月を眺めていれば今日が旧暦の何日だかおおまかにわかってしまうのです。人間に限ったことではなく、地球上の生き物は多かれ少なかれ月がもたらす影響を受けながら生きています。月に見守られながら日々を過ごしていると、どことなく癒されたような、ゆったりとした気分になれるものです。月を愛でながら暮らす指標のようなものとして、旧暦を意識してみてはいかがでしょうか。
 もう一つの魅力は「旧暦を知れば伝統文化が楽しくなる」ということ。和歌や俳句、大衆的な川柳や狂歌、都々逸といった詩はもちろん、能狂言や歌舞伎のような舞台芸能。古典落語に講談、時代小説。地域に息づく民俗芸能や民話・民謡などで、創作時期や設定が明治時代初期以前であれば、それはすべて旧暦ワールドです。旧暦を知っていれば、場面の月日からだいたいの季節感をイメージすることができ、さらにはその日の月の姿も見えてきます。実際に目から入って来る情報以上のシーンが脳裏のスクリーンに描き出されるに違いありません。

〜「Witchenkare vol.2」P116より引用〜

2011/05/14

WTK2寄稿者紹介08(我妻俊樹さん)

我妻俊樹さんとは廻ってないお寿司(ランチ)を食べながら打ち合わせをしました。

小説を書き、小説について考え、短歌を詠み、短歌について考える...我妻さんのネット上の言葉を追っていると、ある意味ですごく規則正しい生活態度であるなぁ、と感銘を受け、こちらの背筋もしゃきっとします。いや、もちろんさまざまな雑記にはそのふたつ以外のあれこれも登場するのですが、しかし、本筋はびしっと「書くこと」で貫かれている、という印象を受けます。

お寿司を食べた後の、「珈琲の殿堂」(純喫茶!)でのこと。話の流れで私が「今号ではエロいノワールを書こうと思って...」と言ったら、なぜか我妻さんの笑いのツボに入ったみたいで...いやあ、我妻さんってあんなに無邪気に笑い転げることもあるのかぁ、青春スターのような爽やかな笑顔でした!

原稿を媒介にした我妻さんとのやりとり(メールと電話)でのニュアンスが、私にはとてもおもしろかったです。「作品=ただ文字が並んでいるもの」に対する、書いた人と読んだ人(しかも光栄なことに最初の読者だ!)の視座のちがいというか...ええと、わかりやすくたとえますと、たとえばトマトを育てた人は「丸くて赤いトマト」だと思っていたのかもしれないのだけれど、そのトマトを食べる人は「緑色の蔕が鮮やかなトマト」だと思っているかもしれないという...って、全然わかりやすくないじゃん! もう少し作品に即して書きますと、私は原稿を受けとって数度読み、頭のなかで一番ひらひらしていたのが白布だったのです、物語内の語り部がまとった、白い布。でも我妻さんが書き進めながらピントを合わせようとしていたのは、そっちじゃなかったような印象があるなぁ(推測)。むしろその白布男が語っている、地理的なことというか、移動に関することというか...。あっ、私の解釈なんてどうでもいいですね、読者のみなさまには(引っ込みま〜す!)。

我妻さんが寄稿してくれた「腐葉土の底」については、ご自身がブログで言及しています。「去年の後半くらいから考えてきた小説についてのいろいろなことの一部が、少なくとも具体的なひとつの形にはできたという作品にはなっていると思います。」との一文には、発行人としてぐっときたなぁ...そういうものを発表する場としてWitchenkare vol.2が機能したのであれば、まっこと嬉しいでありまする!


 すべてあえかな寝言のたぐいだったのかもしれない。それでもいくばくか苦い真実がそこに含まれていたのはたしかだろう。ゆるんで肩に垂れたぼろ布からは煙草のきつい匂いがひろがった。まぶたを閉じたまま、杯を器用に戻した右手でテーブルにほおづえをついた。布がたわんで鰐のような口があらわになる。細い歯の隙間から見える口腔が血を吐いたように赤かった。
「首になってしばらくは貯金と両親の家を売って食いつないでいたものだ」
 突然男は話を再開した。まわりにはとうにだれもいなくなっていたので、声は独り言のように張りをうしなっていた。ボタンのとれかけた袖口から菜箸でつまんだ蟹のように手首がのびて、床をせわしなくまさぐっている。
「おれは墓県を出ることを決意した。生まれてから一度もよその土地の味を知らないので、まずは想像することからはじめたものだ。峠を越えるひどく急峻な鉄の階段が、アパートの廊下のつきあたりからはじまっていた。そんなことは今まで考えてもみなかったが、おれの住居は県境の山脈に半分埋めこまれるように建っていた。山の中心に沸騰する温泉の音がモーターのように床を震わせ、思えば、夢の中でもたえまなくひびいていたものだ。階段は軽快な足音をたてておれの体をはるかな頂上めがけて跳ね上げていった。途中思いがけないところに部屋の窓が光っていた。二階建てとばかり思いこんでいたボロアパートだったが、山肌がめりこむように二階より上を目隠ししていただけらしい。崖にせりだした緑色の岩にはさまれたガラス越しに女の暗い顔がこっちを見ていた。頭に帽子のように大きな貝殻をのせていたので、部屋がうすよごれた水槽のように感じられたものだ。ユーカリの大木の下にささやかな広場があり、タクシーが一台木陰に乗り捨てられているのを見た。しばし休憩をとるつもりでほこりっぽい座席にすべりこむと、そのままおれはぐっすり眠ってしまった。気がつけばタクシーは夕闇の中をぶるぶる揺れながら疾走していた。運転席には大柄な狒々が座っていて、カーラジオから聞いたことのない外国の政変のニュースが流れていた。その国の名をあれから二十年間一度も思い出したことがない。思い出しそうになると鏡とナイフをこすり合わせた音が大音量で聞こえてきて、鼻の奥で山羊の髭を燃やした匂いがする。やがて夕日の光が絶えると急停車し、狒々はおれを力ずくで引きずり出して道端へ放り投げた。みごとな腕力だったよ、そして何の迷いもなかった。まわりには錆びてくずれ落ちた鉄階段の跡がころがっていた。何かに踏み潰されたものみたいに痛々しく見えた。ああいう光景が物事の境界線にはいやというほど散らばっているね、じっくり観察しようとすれば、心はおのれ自身を見うしなう。今まで走っていたはずのくねくねした道は、テールランプに照らされながら蛇のように巻き取られていくところだった。

〜「Witchenkare vol.2」P110〜111より引用〜

2011/05/10

WTK2寄稿者紹介07(大西寿男さん)

大西寿男さんとはもう日も暮れちゃったんで「ビールもあり!」で打ち合わせをしました。

本づくりと校正を手がける「ぼっと舎」の主宰者・大西さんとは「好きな本の著者と読者」という関係でお会いしました。大西さんについては、じつは私、昨年2月13日の当ブログで触れていまして(っていうか、ぼやいていて...)、というのは、Witchenkare vol.1をなるべく誤植の少ない本に仕上げたくて、藁をもつかむようにアマゾンを検索して、それで出会ったのが「校正のこころ 積極的受け身のすすめ」という大西さんの著書だったのです。でっ、当初は実用書的に我流校正作業の参考にしようと思っていたはずが、あっというまに読了して、いい本だなぁ、としみじみ(内容はもちろんこと、装幀や文字のたたずまいも綺麗な本!)。

正直申しまして、若いころの私は校正者から逃げ回っていました。かつて某出版社の某部署では同じフロアに校正者もいらっしゃいまして、そこによく出入りしていた私は原稿がアップするとなるべく早めにとんずら(外出/メシ/帰宅etc.)するようにしていました。だって、「校正のおじさん」につかまると、いろいろ細かいこと言われてめんどくさかったんだもん! ...年を経て自分もおじさんになり、いまでは校正者がどれだけ重要な役割を担っているのか、ずいぶん理解できるようになりました(の、はず)。ひとことで言うと、書き手と校正者は協業の関係を築くのがベスト。ウィッチンケア vol.2では大西さんに最終的な校正作業を手伝っていただきまして、そのことだけ書いていても数千字になりそうなのですが...少なくとも、私の書いたものは大西さんの眼力によって致命的なミスを何カ所も救われています! ほんとうにありがとうございました!(×∞)。

あっ、ここでは寄稿者・大西寿男さんについて書きたかったのだ。私なんぞとは比べものにならないほど多様な文章に関わってきた大西さんに、私は前述のように一読者(ファン)として原稿を依頼しました。実用書のつもりで読み始めた本に感動したのは、大西さんの生み出す文章、そしてその背景にある「ものの見かた/考えかた」に魅了されたから。であれば、きっと「校正者という枠」を離れても、このかたはすてきな作品を書いてくれるにちがいない、と確信して。それと、会うまえのメールでのやりとり、そして、初対面であれこれ話しているうちに、あっ、この人は音楽が好きだな、とひしひし感じたことも大きかったなぁ(私、相手が音楽好きだとわかると俄然張り切っちゃうのです)。

大西さんが寄稿してくれた「『冬の兵士』の肉声を読む」は、自伝的モノローグと往復書簡をミックスさせた実験的な作品。数多くの「既存の作品」を見てきたであろう大西さんが、敢えてこういうスタイルを選択して提示したメッセージ...読者にどんな届きかたをしたのか、編集者として興味津々であります!


 本の歴史のなかで黙読が発明されたのは、西欧では紀元前5世紀のギリシャなのだそうです。それまでは読書といえば朗読でした。朗読が黙読にとってかわられたのは中世初期といいますから、5000年の本の歴史を考えると、そう遠い昔のことではないのですね。藤澤さんの聴覚にすくいとられ刻みこまれたことで、本書は読書の原点にもつながっているようにおもわれます。
 校正者は、仕事のうえで、言葉と奇妙な向かいあい方をします。ゲラに組まれた言葉に深く沈みこんで読むとき、ある声が聞こえてきます。それは著者の肉声でも、ぼく自身の肉声でもなく、ゲラの言葉自身の肉声としか呼べないものです。同じ作者の文章でも、作品が変わればちがう声がしますし、作品ごとに固有の色、リズム、テンポがあります。そのゲラの肉声をつかまえるところまでいけば、校正に必要な読みの条件が整ったといえます。
 校正者にとって、言葉は自律したいのちをもったものとして立ち現れます。あたたかい言葉はよりあたたかく、冷たい言葉はより冷たく、言葉のいのちを支えエンパワメントするのが校正の仕事だとぼくは理解しています。

 朗読会でぼくは「冬の兵士」の肉声を聴きました。今度は、ぼく自身の肉声をつかまえなければなりません。それが、本づくりにたずさわる者として、また、一市民として、「冬の兵士」という本を〝読む〟ことだ、とおもっています。

〜「Witchenkare vol.2」P102〜103より引用〜

2011/05/06

WTK2寄稿者紹介06(多田洋一)

多田洋一はこのGWに自然薯の素揚げを初めて食べ、「最高のポテトフライだ!」と驚きました。

Witchenkareの発行人である多田は同誌に関していろいろなことをやっていますが、でも「軸足は寄稿者のひとり」だと思っています。vol.2ではあらかじめ書き終えたものを発表するのではなく「締め切りから逆算してフィニッシュさせる」を試みました。

「まぶちさん」というタイトルはartisanに音が似ているようで気に入っています。近過去を1万字くらいで書いてみよう、とだけ決めてキーボードに向かいました。書き進めているうちにナラトロジーでいうところの錯時法というのか時系列シャッフルというのか...とにかく安倍晋三総理大臣(第90代)から鳩山由紀夫総理大臣(第93代)までの時代を書いたのですが、そのまま古い順に並べて構成することができなくなりました。

リアルライフでの私は主人公・福富さんの素行に対して「ちょっとどうなの!?」と思うところも多々ありですが、しかし書き手としての私は「ちょっとどうなの!?」な人物がデフォルトであることのおかげで“リアルライフでの縛り”みたいなものから開放され...でもなぁ、拙作を読んでくださった某美人からは「多田さんってそんな人だったんですか!?」みたいなメールをもらっちゃって...はい、すいません(福富さんのお話ですって!)。

近過去はまだまだ使用済み燃料棒みたいなもので...というような表現も、近未来からいずれ眺めてどうなんだろう。とにかく、いまは「まぶちさん」について、もう少し膨らませてみたい気持ちもあります。菅直人総理大臣(第94代)は今日、浜岡原発停止に関する記者会見を開きました。


 部屋に戻って厚紙の封を切ると透明なケースに入ったDVDが出てきた。テレビで再生すると派手なロングキャミとレギンスの市井がよくある健康器具に跨がって商品特性を説明していた。その動画がテレビを録ったものなのか、あるいは販促物やネット上のどこかにあるものなのかはわからない。そして僕は市井を知っているので好意的に鑑賞できたけれど、もう若くもない女がはしゃいでいるさまをまっさらな目で見た人がどう感じるのかも、ちょっとわからない。まあ、とにかく、市井は元気そうなのでよかった。
 ソファで五分ほどの映像を繰り返し何度か見た。シーリングライトを消し横になって地上波に切り替えてしばらく眺めていると徳井義実が北白川の話を始めてすごくおもしろいのにいつのまにか眠ってしまった。朝になってとくに代わり映えのしない一日をやり過ごして、そんな日々がふつふつと積み重なって北京オリンピックで上野由岐子が超人のような活躍をした夏も過ぎ去って、僕は「あなたと違うんです」と吐き捨てる総理大臣を到着が遅れたボーイング747のシートで眺めていた。またか、とは思った。リーマンショック当日のバラエティでタレントたちが「株価が気になって番組どころじゃない」と口走り、M -1グランプリでオードリーが2位になっても、僕の部屋のクローゼットにはまだビニールも破っていないマフラーが何枚か入っている。

〜「Witchenkare vol.2」P83〜84より引用〜

2011/05/02

WTK2寄稿者紹介05(中野純さん)

中野純さんとは民家風カフェでお茶を飲みながら打ち合わせをしました。

近年は闇/夜/洞窟など「暗さ」をテーマにした著書の多い中野さん。むかしから先見性の人だと思っていましたが、電力過剰消費が見直される昨今、中野さんの本はどれも、これからの生活を楽しむための指南書のよう...というか、中野さんはむかしから「目が良い」のです。いや、視力がどのくらいなのかをお聞きしたことなんぞありませんが、とにかくいろんな意味で「目利き」であります、審美眼の持ち主。

最近はナチュラルで飾らない風貌の中野さんですが、青年期には(その目の良さに拠る!?)独自の色彩感覚をバリバリにファッションに反映させていまして、ほんと、いつ会ってもはっとするほど綺麗な色の服をさらりと着こなしていました。孔雀のような超スリムボーイ...。うぬぬっ、ちょっとへんなことを思い出しましたが(うろ覚えですが)、若かりしころ中野さん、そしてウィッチンケア vol.2に素晴らしい写真を提供してくださった徳吉久さんとご一緒したさいに、おふたりに共通した日常の「ドレスコードみたいなもの」について聞いたような記憶があって、それは「野球帽はかぶらない」「長袖シャツの腕をまくらない(あるいは、夏でも半袖は着ないだったか?)」「スニーカーは履かない」ではなかったっけ? ははは、むかしから野球帽かぶって腕まくりしてスニーカー履くのがデフォルトな私は、どうすればいいのだ...。

いつだったか、メールのやりとりかなにかで私がなにげに“NHKの「今日の料理」”と書いたら、返信ですぐに「きょうの料理」と正確な番組名に訂正されたこともあったなぁ...そんな、目が良くて哲学的な中野さんには、私が「こんなもんだろう」くらいにぼんやり認識している世の中の諸々も、きっちり見えているのだと思います。きっと看過できない「美しくない事象」も多そうで、眼精疲労が心配〜。

中野さんが寄稿してくれた「十五年前のつぶやき」は、インターネット普及以前の草の根BBSに書き込んだ膨大な「つぶやき」を、2011年の言葉としてリミックスしたもの。本稿で自身のなにかにオトシマエをつけたのでしょうか、中野さんはTwitterでまた、つぶやき始めました。こんな時代に、いったいどんな示唆的な言葉が、ネットの世界を飛び交うことになるのか...。


愛、ですか……。うーむ、そうなのかもしれません。いや、
そうに違いありません。私はオンライン……というより
も、デジタル・コミュニケーション、デジタル・メディアが、
好きで好きでしょうがないんです。人類史上、滅多にない、
途轍もない大変革の時代に自分が生きていると感じます。

キーボードやマウスから入力して、それをマックがしっ
かり受け止めてモニタに出力して、それに応えてまた入
力して、また出力して、そうして毎日、目をシバシバさ
せながら、私は愛を確かめ合ってるのですね。ああトリ
ニトロン、美しきトリニトロン、おまえは健康に悪い。
誰か私に、OAメガネを下さい。

テレビで知りましたが、今日は海開きだったそうで。で
も無理矢理こじ開けたって感じの寒々しい映像でした。

そう、まさにその「無限近」と「無限遠」です。脳味噌
同士は限りなく近づき、肉体同士は限りなく遠ざかる。
満員電車の状況と、ちょうど逆です。満員電車内では、
脳味噌同士は限りなく遠ざかり、肉体同士は限りなく近
づく。

オンラインの「無限近」と「無限遠」は、ものすごく濃
密で、同時にものすごく希薄なコミュニケーションを生
み出します。その、脳の濃密さと肉体の希薄さの同居が、
私にはとても気持ちいいものに感じられます。行け行け、
オンライン!

私も考えてみました。これならうまくいくと思います。
栗の木からやや離れたブッシュの中に身を潜ませ、じっ
と待つ。→誰かが栗を拾い、うまく中身を取り出したと
ころで、歩み寄る。→「ください」と言う。

政治家になんか、世の中を変えてほしくないです。世の
中が変われば自然に政治家も変わります。

〜「Witchenkare vol.2」P73〜74より引用〜

Vol.7 Coming! 20160401

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