2012/05/10

vol.3寄稿者紹介02(仲俣暁生さん)

昨年のいまごろ、忌野清志郎が死んじゃったのが悲しくて何冊かの雑誌や追悼本を買いました。私は熱心なファンではなかったけれど「僕の好きな先生」「帰れない二人」はリアルタイムだし。「君が僕を知っている 」がいまは一番好きな曲かもしれない、とくに歌詞が。でっ、数々の追悼文のなかで一番印象に残ったのが、仲俣暁生さんが「ミュージックマガジン」に書いたものでした。

マガジン航」編集人であり「再起動せよと雑誌はいう」 他著書多数の仲俣さん。その活動フィールドはむちゃくちゃ広い。私は勝手に「同時代の触媒」のような存在だと感じていまして、いつもなにかを考える きっかけをもらっているような...。でも寄稿依頼では、なにしろ小誌が「台所まわり」を冠した媒体なので、ごくごく身近な作品を(もっとはっきり言えば 「おセンチな作品」を)とお願いしてみたのです。

「父という謎」と題された寄稿作品が印刷工程を終える寸前に、テキスト内で重要な位置を占める吉本隆明氏の訃報が。「昨年はじめて取材でお目にかかり、このあいだ出たウィッチンケアに寄せた文章でも言及したばかりだった。」とのつぶやき(@solar1964)が忘れられません。キヨシロー、吉本氏、そしてお父上...。「おセンチ」なんて軽い言葉では納まらない重量級作品でしたね、仲俣暁生さん!


 父はそれなりに文学青年でもあったようだが、文芸方面での趣味は謎だった。アラゴンやエリュアールの詩、ベートーヴェンやチャイコフスキーの音楽といった分かりやすい趣味をもった母と違い、父の蔵書は専門分野の文献を除くと、松本清張と柴田錬三郎、山岡荘八あたりにとどまり、少なくとも家には純文学の本は一冊もなかった。一度だけ、若いころにペンネームがあったと白状したことがある。活動家としてのコードネームを兼ねていたのかもしれないが、父のなかに文芸方面への野心あるいは憧れがあったことは間違いない。

 専従の仕事を退いた後、元気だった頃に父が進めていたプロジェクトは、独り身で死んだ女の文学者の墓を訪ねてまわり、写真と寸感を記した文章をまとめることだった。すでに職業編集者になっていた私に草稿を見せ、印刷する予算はないから電子書籍にでもできないか、と相談をもちかけてきたこともある。
 その後、父は癌の手術で長期入院を余儀なくされ、父の退院後は母が脳出血で倒れた。母が車椅子生活になったため、父は自身も要介護者でありながら母の介護役となった。老夫婦二人による在宅介護に、頼りにならない息子三人があたふたする慌ただしさのなかで、いつしかこの話はたち消えになった。

Witchenkare vol.3「父という謎」(P014〜P019)より引用/写真:徳吉久
http://yoichijerry.tumblr.com/post/22651920579/witchenkare-vol-3-20120508

Vol.9 Coming! 20180401

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