2014/05/01

vol.5寄稿者&作品紹介01 柳瀬博一さん

ウィッチンケア第5号のトップを務めてくださったのは柳瀬博一さん。日経ビジネス/日経ビジネスオンライン チーフ企画プロデューサーとして活躍し、書籍編集者としても数々の話題作を手がけています。

柳瀬さんとは昨年6月におこなわれた武田徹さん×仲俣暁生さんのトークイベントのさいにお会いしました。その日の打ち上げで「16号線」の話題となり...いやあ、この問題は昨年6月より町田市(再)在住の私にとってはまったくもって他人事ではなく...その後FBでのやりとりがきっかけでご寄稿いただけることになり、ほんとうに嬉しい限りです。

しかし、16号線界隈で育ち/老い始めてつくづく思うことをひとつ。この地で生活していると「ある種の理不尽なやるせなさ」みたいなものを、笑いや詩情に変換させるスキルが自然と身についちゃうかもしれないなぁ、と。いや私、つい最近も「時刻表では20分に1本は来る」はずのバスを45分待ったり(○中は間引いてないのか、ホントに...)、米軍機の爆音で通話中の電話が聞き取り不能になったり...子どもの頃からちっとも改善されてねーw。

「16号線は日本人である。序論」は大胆で、挑発的で、なにより読んでいて楽しいです。「違うっていうならいつでも反論OK!」という風通しのよさは、寄稿者のお人柄ゆえなのか、と。そして柳瀬さんはプロフィール欄で<今回書いた「国道16号線」話の壮大なる妄想はあるのですが、ほんとは誰かに書いてほしい……。>、と書いていますが、本作がきっかけでさまざまな「16号線」論が広がったり、あるいは文中の<よく中央線カルチャーといわれるが、あれ、「16号線」が八王子から線路をつたって中野あたりまで侵食したもの>に反応した方との文化トークセッションが開催できたり、そんな展開になったらさらに楽しいのに、と思うのでありました。

 ただし、16号線こそが日本であり、16号線こそが日本人である、ということをずっと知っている人たちがいる。
「五感の知能指数」が高い人たちだ。
 彼ら彼女らは脳みそではなく体で知っている。
 日本人がすべて外からやってきたことを。
 ゆえに、常に外からの文化、外からの文明に対して開かれていることを。
 あとから海を越えてやってくる文化文明の影響で、自らを上書きしていくこと。あらゆるものをのみこみ、アレンジし、マッシュアップし、変形させて、なにものでもない「日本」にかえてしまうことを。
 そして。五感の知能指数が高いひとたちは、そんな16号線的なる日本の意味を、価値を、自らの作品で、体現する。
 なによりも、音楽。
 美空ひばりを、裕次郎を、若大将を、ユーミンを、サザンを、エーちゃんを、ストリートスライダーズを、クレイジーケンバンドを、そして大瀧詠一を、戦後のあらゆるヒップな音楽。
 彼ら彼女らの多くが具体的に16号線の場所、16号線の空気を経ていている。ジャズからロックから歌謡曲まで。アメリカ化した16号線が、戦後日本の音楽のターニングポイントをつくった。
 ただコピーをしたわけではない。当のアメリカが生まれる数千年も前から先に存在する「16号線というOS」にアメリカ音楽というアプリケーションソフトをインストールすることで「16号線的」としかいいようのない日本独自のポップミュージックを、五感の天才たちが産み出した。
 それが日本のいまの音楽だ。
 文学でいえば、初期の短編でどこでもないアメリカ的郊外を描いた村上春樹が、そして16号線沿線の美大生でアメリカンカルチャーと土着が入り交じる世界を描いた村上龍が、まぎれもない16号線的作家である。近年でいえば、米軍と古都と三業地と自然とが入り交じるもっとも16号線らしい街、町田=まほろを舞台とした「まほろ駅前シリーズ」を描く三浦しをんもまた16号線的作家である。


ウィッチンケア第5号「16号線は日本人である。序論」(P006〜P013)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/80146586204/witchenkare-5-2014-4-1

Vol.14 Coming! 20240401

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