2014/05/14

vol.5寄稿者&作品紹介14 中野純さん

中野純さんが凄いのは理論と実践が一致しているところ。口先だけでは軽く見られる、黙して語らずやることをやるはカッコいいがそんな高倉健だらけの世の中じゃ殺伐、やはり凄いの域までいくには言行一致...しかもそのどっちもがやや過剰気味だと、もの凄く凄い!?

20代のころから、中野さんの印象は「行動派」。ホーミー極デジ化奪衣婆etc....政治的意味合いではなく、activismの人(「みんな見ているだけなら、オレ1人でもやる」的な)。でっ、初期衝動で突き動かされたことをきちんと説明できる。なんか、パンクだけど技術が際立ってる、みたいで、そういえば中野さんがピストルズやクラッシュを褒めてた記憶はなく、ジャン・ジャック・バーネルとかジョン・フォックスとか...美意識も際立ってる!?

そんな中野さんの小誌第5号寄稿作「自宅ミュージアムのすゝめ」に登場する「少女まんが館(女ま館)」も、中野さん(と大井夏代さん)が1997年から実践しているプロジェクト。作品内では<日本のおたく大国化と全国総密室化の解決策>(要旨)という、デカい問題への論陣を張っていますが...いやいや、同館の挨拶文から察するに、中野さんはもっとばかデカいスケールで自宅ミュージアム化計画を捉えているな、と。ぜひ国連にでも招かれて、この素晴らしいアイデアを開陳してほしいと思いました。

そして個人収集家は「半開きでもいいからとにかく開くこと」と、自分の問題としても強く感化されました。いやね、私は「おたく」ではないと思いますが、それでも「非常に偏った音楽コレクション」を多少は持っていまして...でっ、なんでこんな慇懃な書き方するかというと、じつは10年くらい前までは「○○に関してのコレクションは凄いんだぜ」みたいな密かな自慢気分を持っていたのですが、ある日心ない知人に「あんたのレベルじゃ詳しいとは言えない。○○さん(ホンモノの音楽評論家)なんて〜」と思い切り叩かれまして、以後しばらくは「私、自称音楽好きです〜」と卑屈になり(苦笑)...つまりなにが言いたいのかというと、「閉じてる」人は傷つきやすかったりもするので、小さなプライドなどさっさと捨てて開いたほうが、ずっと世界は広がるぞ、みたいな。

 自宅ミュージアムの持つミュージアムとしての潜在能力は計り知れないほど大きい。
 ひとつひとつの自宅ミュージアムはたいしたものではないかもしれないが、自宅ミュージアムが増えていけば、総体としてはものすごい質と量になる。
 制服の第二ボタンのように、一般的価値がなく、なかなか蒐集されていかない物も、個人のこだわりによって保存され、集積されると価値が生まれて文化として認知される。そうして保存されていくものの幅が大きく広がる。
 また、同じジャンルの物を蒐集する自宅ミュージアムが各地にできると、一点物以外なら、万一の盗難や焼失、破損などがあっても、お互いがお互いのバックアップになりうるので、総体としての保存能力は高い。
 個人がミュージアムを運営することに対して、文化遺産の永久保存という観点から、否定的な見かたをする人は多い。個人のコレクションは個人の死とともに散逸する恐れが大きいから、保存の機能が一代限りになるというのだ。だが、そんなことはないと思う。むしろその逆で、自宅ミュージアムをやることで、一代限りで散逸するはずだったコレクションが個人の死を超えて受け継がれる。
 おたくが独自のこだわりを持って集めた物はそのままでは散逸しやすい。ふつうは家族が理解してくれないから、自分が死んだとき、遺族によってゴミ同然に処分されてしまう恐れが大きい。それは文化的に大きな損失だし、本人も残念だろう。
 だが、自宅ミュージアムにして、自分が生きているうちにそのコレクションの価値を社会に知ってもらっておけば、自分が死んだとき、雑に扱われる可能性が格段に低くなる。価値をよく知ったコレクターに引き取られたり、大きなミュージアムが受け容れたり、自治体などがミュージアムを引き継いでくれたり、遺族なり他人なりが自宅ミュージアムの形で引き継いでくれるかもしれない。

ウィッチンケア第5号「自宅ミュージアムのすゝめ」(P0104〜P109)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/80146586204/witchenkare-5-2014-4-1

Vol.8 Coming! 20170401

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