2015/05/30

おまけ(ノベライズ:ウィッチンケア第6号)

 ……きちゃった、へへ。

 嘘のようなほんとうの話だが、さっき彼女が窓から僕に微笑んだ。えっ、そういうことってリアルで起こるんですか!? たじろいでいる間に部屋に入ってきて一冊の本を手渡された。なっ、なんなんですか!? 途方に暮れていると、彼女は「全部読んだら愛してあげる」。全部読まないと? と尋ねたら「殺す」と。じゃまたね。彼女が窓から出ていった。まだ死にたくない僕は本を読み始める。

 表紙には四つのグラス。写真家の徳吉久が、パリの北ホテルのカフェで撮影したものだ。あと、ご丁寧に「言葉いりますね」と。そりゃ本なんだからいるでしょう。

 ページをめくると、うっすら読めるwords@worksとの文字。作品の言葉、とでもいう意味だろうか。その下には脈絡のない文章の断片。対向面の写真にはUNE FABULEUSE SOIRÉE !!! と書いてあり、これはまあ「どうぞお楽しみください!」というくらいの感じ!? さらにページをめくると<目次>で、三十七の人名が同じ大きさで並び、各名前の下に掲載作品のタイトル。知ってる人もいる、知らない人もいる。

 若き日の旅の思い出を仲俣暁生が書いている。傷心のまま封切られたばかりの「コットンクラブ」を金沢で見たと。壁ドンについて西森路代が論じている。流行語となり形骸化したパフォーマンスの本質に迫っている。自身が見てきたゼロ年代の風景について記したのは開沼博。与沢翼やはあちゅうが意外な登場のしかたをする。続いて地下アイドル姫乃たまの初めての小説。年齢差のある道ならぬ恋愛を自分語りのように描いている。酒鬼薔薇聖斗と同い年の武田砂鉄は同級生とのキレたかもしれなかった思い出について紋切り型でなく書いている。富士山という題名の小説を寄せているのは宇田智子。多摩川や綱島温泉のような場所が登場する。吉田亮人は写真で食っていくことの難しさと楽しさについて。独立当時の逸話が再現されている。ロフォーテン諸島やブラジルへの旅の記憶を野村佑香が辿っている。旅を通じて自分自身と改めて対峙するかのように。流れさってしまったかもしれないテキストを書き留めた大澤聡はラジオで荻上チキと対話することも批評的行為だと語っている。若杉実は「渋谷系ならシゲ」と言われた男を主人公にした小説を書いていてミシンの音が聞こえてきそうだ。一連なりの長い文章で中野純がいろいろつぶやいている。やるときはしっかり電気を消してほしいと実用的な提案も含まれている。若い女がAV女優になるまでの物語を創作したのは谷亜ヒロコ。主人公は胸が大きい。お尻もいい。図々しくはないらしい。東間嶺はミロスラフ・ティッシーにまつわる小説を。猫とランチとカフェと大自然と中東の過激派が並列で扱われている。モルディブを舞台にした小川たまかの小説には不思議なカップルが登場してなかなか正体がつかめない。西牟田靖の初小説では未解決事件の真相を追うもの書きと和歌山県警OBの苦悩が描かれた。精神を病んだ父親を介護するため京都に移り住んだ男の物語を書いた久保憲司。作中ではレイシスト団体への抗議デモにもさらりと触れている。藤森陽子はピアノのレッスンや飛行機への乗り遅れが怖い。近年は靴のつま先が入らないという新手のトラウマにも見舞われている。吉祥寺ハモニカ横丁を例に路地を考察したのは井上健一郎。都市の余白について独自の見解が述べられている。我妻俊樹の小説にはおっかないものがたくさん登場する。右目がピラミッドで左目がおにぎりのニュースを読む男など。人生悲喜交々とランナウェイズへの愛を木村重樹が告白する。BiSやBABYMETALも木村の視野に入っている。諸星久美の小説では妻であり母である女の葛藤が描かれる。主人公は破滅に繋がる感情の積み重ねに自覚的だ。20年間言葉にできなかった思いを小説にまとめた大西寿男。元祖平壌冷麺屋本店は神戸の新長田駅近くにある。雑聴生活について考察した辻本力はデプレッシブ(鬱)・ブラック・メタルというサブジャンルを堀りながらも鬱々としているわけではない。上海で暮らした際に旧暦の五節句の意味を肌で感じた友田聡は昨今の「行事続き」の風潮に警告を鳴らす。まだ句会に参加した経験のない出門みずよだが今号では我流で四十四句ほど詠めりけり。荒木優太は在野研究者として専門分野の小林多喜二「党生活者」を題材に屑について持論全開。自分はなぜパンに魅せられたかについて書いた山田慎は年間300軒以上の店を訪れている。子供部屋に出没する異性物についてさまざまな作品を解読した三浦恵美子はセーラームーンやまどマギはまたあらためてと。「流域」という視点の大切さを提示した柳瀬博一は併せて自身の「がっこう」である小網代の谷に棲息する魅力的な生物を紹介。長谷川町蔵は町田の仲見世商店街を舞台にした小説で超絶美少女からワイプアウトした少女の生活を描く。円堂都司昭は漂流教室とはだしのゲンを再読し現在の視点で作品の意味を問い直した。東京でのオリンピックまであと5年。お店のようなものをのようなものの実践所として始めたかとうちあきは家賃問題に戻るきょうこの頃。間章の著作集全三巻を完成させた須川善行は「チューブラー・ベルズ」のスリーヴにあった「間章」という文字を当時「序章」「終章」みたいなものだろうかと。後藤ひかりは骨董屋の店頭の木箱で見つけた南極の石を買った日のことを。携帯電話の画面の裏側に赤い四角がびっしりと集まる。橿渕哲郎の仮歌ハミングについても武田徹は「末期の眼」という観点から考察。かつて自身が書いた「ムーンライダーズ詩集」書評にも言及している。ブラジリアンワックスを題材にした美馬亜貴子の小説は主人公の身体感覚が伝わってきて読者のあらぬ想像力を刺激。そして悪い男が素敵なお姉さんを騙す話にはなんだか海辺の集落に由来する苗字の登場人物がってなんでそんなことわかるかって言うとこれ書いた多田洋一って、あれ!?

 さらにページをめくると寄稿者やAD吉永昌生など制作関係者のプロフィールが掲載されている。百四十文字はツイッターの字数で、わりと自由な書きっぷりから人柄が垣間見える。奥付には前号までの表紙素材になった写真が配され、この本の発行元が東京都町田市であることもわかる。さらに、またうっすら読めるwords@works。そして、その下には脈絡のない文章の断片(←これらはすべて作品内の一節/もし帯が付いていればそこに掲載されていたかもしれない)。裏表紙もパリの北ホテル……こんなに読み応えのある本が税込み1,080円なのには驚いたし、ISBNで取次会社や注文方法も判明した。さらに聞いたところによると、どうやらいますぐにアマゾンでBNも含め購入可能らしい(かなりステマ/ネイティヴなんとかになってきたのでこのへんで)。

 とにかく、これで殺されることはないだろう。本を閉じた僕は窓を見つめる。きっと彼女はやってくる。もしかすると来年の春、次の号を携えてかもしれないけれど。



【敬称略にて失礼致しました!】

2015/05/29

vol.6寄稿者&作品紹介37 多田洋一

※今回の多田洋一の寄稿作については、三浦恵美子さんが紹介文を書いてくださいました。感謝!

意外に(…と言っては失礼にあたるのかもしれませんが)、多田洋一さんの作品群の通奏低音は、「ハードボイルド」だと思うのです。どこが「ハードボイルド」なのか、というと。語り手である「僕」のまわりには主に三種類の女性が存在しています(乱暴なくくりですみません多田さん)。一番目には、名前の呼び捨てで表記される女性。彼女と僕は、現在は別れているとしても過去に深い絆で結ばれていたことがあり、僕は今も、どこか彼女への思いを残している。二番目に、名字の呼び捨てで表記される「女(おんな)」。ある種の関係を結んだことがある(結んでいる)(結ぶだろう)にせよ結局、現在の僕にとっては関係が浅くて遠い、あるいは、‘都合がいいだけ’の相手。三番目に、名字に「さん」付けで表記される女性。僕にとって「他者」である女性です。この他者としての女性が物語の中心にフォーカスされる場合、彼女は、性的関係があるにせよないにせよ、僕との間に絶妙の距離を保ち、緊張感を帯びた存在として立ち現れてくる。三番目の女性がメインキャラクターとして登場するのは、ウィッチンケア第1号掲載の中編『チャイムは誰が』(「鉦田さん」)と、今回第6号の『幻アルバム』(「由比野さん」)です。そして、この中の二番目の類型の女性、つまり女性というより「女(おんな)」として名字を呼び捨てにされる存在、あるいはただ「(どこどこの)女」と呼ばれるだけの存在が、前景にせよ後景にせよ多田さんの作品の中には必ず顔を出すというところに、私は、かなり強い「ハードボイルド性」を感じるのでありました。あと、「僕」によるモノローグの、どこかひっかかりの多い、ラップ調(!?)とも内省的ともいえそうな‘癖’のある文体もまた、文字通り、ではないかもしれないけれど「ハードボイルド」だなあ、と。

ちなみに、いちばんハードボイルド度が高いと思ったのは第2号の『まぶちさん』かな。逆に、第三の類型の、名字に「さん」付けの女性がメインキャラとして登場する作品は、ハードボイルド度は低い。特に、文体の角がとれて平明になった最新作『幻アルバム』では、代わりに、多田さんの作品の「基本モチーフ」が、大々的に、シンプルなかたちで前面に出てきた感があります(勝手に「基本モチーフ」なんて言っちゃってごめんなさい!まぁ、言わせといて下さい)。

語り手である「僕」は、過去に悔恨の根を残していて、今、屈託を抱えて生きている。まるで喉にささった魚の骨みたいに生理的にも心理的にも煩わしく厄介な「過去」を、今、いかに清算するか。それが、多田さんの作品の骨格となっている基本モチーフだと思うのです。たとえば第1号『チャイムは誰が』だと、「過去」とそこからの解放を象徴する鍵は、遠い昔パソコン通信の会議室でかすかな交流を持った「SD」というハンドルネームの‘女性’なのだけれど、いくつかのトラップ、いくつかの錯誤を経て、「決着」ははぐらかされる。第3号『きれいごとで語るのは』だと、「過去」を清算しようとしているのは語り手のかつての彼女であって語り手ではなく、語り手はといえば思いがけず事態に巻き込まれ傍らで傍観しつつ逡巡し、最後は‘逃げる’役どころ。第4号『危険な水面』でも同様に、錯綜する事態に‘巻き込まれた’語り手は、最後に‘逃げる’。第5号『萌とピリオド』では、決着をすり替えた果てに偶然が重なり、肉体的な痛みと変形を伴って、「過去」と「未来」が「断絶」する。ところが最新号(第6号)『幻アルバム』では、語り手「僕」がきっぱりと「過去」と縁を切り、まだ見ぬ「未来」へと舵を切る過程が描かれる。

どうしようもない鬱屈とそこからの解放をめぐって、「僕」のモノローグが繰り広げられる。そこにちりばめられるのは、具体的な街の風景、店の名前、事件の記憶(これらは「暗示」されるだけの場合も多い)、そして、音楽をめぐる固有名詞群。取り返しのつかない「時間」の痕跡が集積し、その先に、「未来」への手掛かりがかすかに浮かび上がる。

多田さん、特に3号以降は、他の寄稿者と同様のかなり少ない字数でしか作品を書いていないようですけれど、第1号『チャイムは誰が』、第2号『まぶちさん』あたりで垣間見える「構成力」は、中編以上で初めて真価を発揮するのでは。ぜひ、発行人の特権で、次回以降はもう少し長いのを書いて下さい〜。てなところで。
 【文・三浦恵美子


 チェックアウトしてタクシーで吉祥寺に向かった。高井戸ICの近くで渋滞に巻き込まれた。沈んだ目で窓の外を眺めていた彼女が突然の笑顔で僕に言った。
「ほんとうにいいアルバムをつくりたかっただけ。あの頃はそれで世界が変わると思った」
 そしてすぐにまた押し黙った。
 たぶん僕は「ですよね」とこたえたはず。でっ、それはかなりの本音だった。アルバムという単位にこだわるのはバンドサウンドへの固執と同じで彼女のスクエアさだと思ったけれど、とにかく彼女は音楽をつくりたかったのだ。トレント・レズナーやリチャード・D・ジェームスも最初はTシャツやキーホルダーやトートバッグなんかじゃなく世界を変える音楽をつくりたかっただけ、といまも僕は信じている。
 彼女にはできなかった(そして僕は彼女の企みの役に立たなかった)。世界は世界を変えられる人にしか変えられない。世界を変えられない人が世界を変えようとしても手痛く傷つくだけ。世界はびくともしない。


ウィッチンケア第6号「幻アルバム」(P222〜P234)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/115274087373/6-2015-4-1

cf.
チャイムは誰が」/「まぶちさん」/「きれいごとで語るのは」/「危険な水面」/「萌とピリオド

2015/05/28

vol.6寄稿者&作品紹介36 美馬亜貴子さん

小誌前号への寄稿作では還暦を迎えた独身女性を主人公に、SNSでの心の綾を描いた美馬亜貴子さん。創作では敢えて自分とは距離のある人物を登場させ物語を組み立てているようで...そこが作品のクールなおもしろさに繋がっている印象を受けます。谷亜ヒロコさんの作品と読み比べると、どちらの主人公も悲惨な目に遭いますが、その質感が微妙に異なる(一人称と三人称の違いだけではない感じがするのです)。泥舟一蓮托生 VS その船、底に穴が空いてますよ、みたいな。...ちなみに、今号寄稿作のタイトルは、昨年美馬さんが制作した<念願のムーンライダーズ本『Ciao! ムーンライダーズ・ブック』>と関連あり。1982年のアルバム「青空百景」収録の「二十世紀鋼鉄の男」にインスパイアされたようで(僕はワックス〜♪)、うーむ、小誌今号の隠れテーマはムーンライダーズ?

マチコさんって20代後半に入ったくらいの設定なのだろうか。まだ経年変化(老化)に怯えている様子はないし、婚活をしているわけでもなさそう...でも<自分が、ブスではないが別段可愛くもない「平均ど真ん中」の女であることを自覚してい>るんだけれども、それでは嫌でどこかで(なにかで)他の人に「勝ちたい」...<気がつく人だけが気がつけばいい>程度でも「勝ちたい」。<街で美人とすれ違うとき、「あの人のかかとより、絶対私のかかとの方がキレイ」とか〜>のくだりを読んで、勉強になりました。そうか〜、女の人は女子会とか楽しそうにやってるけどみんなライバルでもあるんだ〜、みたいな。美容関係の広告、多いわけだよな〜。

さて本作重要課題、ブラジリアンワックス。私は最初これがどうにも実感できず...自らに引き寄せて理解しようとすると、髭剃りかかつて手術時に体験した剃毛しかなく、それじゃ2〜3日でチクチクするじゃない、と。そんな疑問を文学的必然として作者にも投げかけますと、作者もまた私の疑問を理解してきちんと回答してくださったり、文章を推敲してくださったり...しかしそのやりとりって「あの、<リカちゃん人形の「そこ」のようになめらかでつるつる>で、<ほどなくして、マチコに久々のボーイフレンドができた>とありますが、この<ほどなく>ってどのくらいでそのときの「そこ」の状態なんですけど、...あとチクチクし始めると「そこ」は...」みたいな(泣)。

オレってミマさんにセクハラしてないか、と怯えたことを告白します(失礼しました!)。と同時に、ネット上の世界のヴイ・アイ・オー施術見た(日本だけじゃわからなかった疑問氷解)!! ...しっかし、作品内でマチコからこてんぱんに言われているススムですが、たぶん彼は「一番訊いちゃいけないこと」を訊いたんだろうな。「勝った」結果としてあなたとそうなったんで<俺のため>だったら「負け」じゃない、なのか? マチコの敵はススムでもライバルの全女性でもなく自身の自尊心...自尊心のためならVIO晒すくらい...いまの私はこの時点で「本末転倒では?」と思っちゃいますが、でもそれを嘆かず、美馬さんを見習って世の移り変わりをおもしろがります〜!


 わりと落ち着いた気分で施術台の上に横たわった。あらかじめ2〜3センチほどに毛を切られる。下腹部に感じる生温かく、どろっとした感触は想定の範囲内だ。ワックスを塗って、固まったら一気にはがすわけだが、これは実際、思っていたよりもずっとずっと痛かった。21世紀の最先端都市・東京で、信じられないほど原始的な方法で毛を抜いている私──ものの20分ほどではあったが、痛いし、恥ずかしいし、その時間は実際よりもずいぶん長く感じられた。

 しかし。
 終わってみたら、冗談じゃなく、世界が変わった。
 なんだろう、この自信。背筋が伸びる感じ。もちろん他の人には決して見られない部分だけど、「こんなところにまで気を抜かない私」という自意識に、ものすごくアガる。入浴の度に鏡に映して見る「ヴイ・アイ・オー」は、子供の頃に遊んだリカちゃん人形の「そこ」のようになめらかでつるつるだ。非日常どころか非現実の域にまで及んだ自分の変化に、マチコは満足した。これまで行なってきたどんな美容法よりも「やってやった」感がある。きっと誰も、こんな地味なOLが、こんなところの手入れをしているとは思わないだろうな。なんたって〝最先端〟よ。ふふふ。そう思っただけで心が果てしなく高揚する。

ウィッチンケア第6号「二十一世紀鋼鉄の女」(P216〜P221)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/115274087373/6-2015-4-1

cf.
ワカコさんの窓

2015/05/27

vol.6寄稿者&作品紹介35 武田徹さん

武田徹さんの今号への寄稿作は橿渕哲郎やムーンライダーズの曲(詞/詩)を、唐木順三の「詩と死」(第七版)で言及されている川端康成の<『末期の眼』という短い文章>を手がかりに考察したもの。ええと、少しややこしいですが、「末期の眼」という同文のタイトルは<芥川龍之介が自殺直前に残した『或旧友へ送る手記』>のなかの一節「けれど自然が美しいのは、僕の末期の眼に映るからである」に由来。唐木は「詩と死」において、川端が芥川の一節に対し<あらゆる芸術の極意はこの『末期の眼』であろうという感想を添えている>ことを紹介し、それに賛同して自説を展開。そして武田さんは、芥川→川端→唐木(経由で時宗の開祖・一遍にも迂回)とバトンを受け継いで...。

「末期の眼」とはなにか。作品内ではさまざまな言葉が紹介されていますが、一番わかりやすいのは唐木から引用した<生を死から把え、即ち、はかなく、あわれな存在として自己をとらえ、そのあわれをいとおしみ、つかの間の命即ち存命の不思議を、中世人たちはその詩歌や随筆やまた語録で示している>の部分でしょうか。武田さんは橿渕哲郎やムーンライダーズのいくつかの曲をピックアップし、「末期の眼」という視点から具体的に読み解き直しています。ライダーズファン、そして昨年発売された「かしぶち哲郎 トリビュート・アルバム 〜 ハバロフスクを訪ねて」に魅了された人には、深く沁み入る内容だと思います。

今作でもあらためて感じましたが、武田さんの言葉に対するスタンスは懐が深いです。ある言葉はある意味に対応、といった自動翻訳的な理解ではうまくいかないことも視野に入っていて、「その言葉がそこで選ばれた背景」にまで思いを馳せてコミュニケーションに臨むというか。そんな武田さんの姿勢を、先日おこなわれた開沼博さんとの対談でも私は勝手に感じ取っていました。そして晶文社のHPで始まった連載「日本語とジャーナリズム」は、いったいどこに着地するのか!? 同連載内の<人間(の上下)関係>や人称の話...自分が普段無自覚でいることにも気づきました。

下記引用内にも出てくるムーンライダーズの〝Who's gonna die first ?〟という曲、私もアルバムリリース時にリアルタイムで聞きましたが、あれから四半世紀経ったのか。当時はなんか、音はジーザス・ジョーンズあたりと張り合う気満々なデジロック、なのに歌詞はヤケクソ気味、と思えた...でもいま聞くとその「ヤケクソ」に凄みを感じます。印象的なサビも耳にこびりつきますが、30を越えたばかりの頃は耳に入ってこなかった「どうせ クッションかソファみたいなぼくだ」ってな箇所が引っ掛かったり。そして、武田さんが以前イベントで仲俣暁生さんの「今後会いたい人は?」という質問に、鈴木慶一さんと答えていたことも思い出しました。


 しかし「「捨てる」ということをあれほど徹底させたこの「捨聖」も、三十一文字、また日本語の音律だけは捨て得なかった」。それを唐木は責めない。三十一文字の音が連なるリズムこそ「全存在がひとつの情緒的形姿をとって現れる」場所であり、「ここが詩(ポエジイ)の誕生するところ、物皆がその本来の面目を発揮するところだ」からと唐木は書く。

「末期の眼」とは喪失を予期して世界を見るまなざしだ。出家、脱俗した宗教者はみな末期の眼を持つといえるが、総てを捨てようとした一遍は特にその傾向が強い。しかしそんな一遍が総てを捨てようとした果てに詩を口にする。そうして喪失の中に現れる言葉とリズムこそが本物の詩なのだ。
 先に紹介した『ムーンライダーズ詩集』は、今にして思えば「たかが」結成10周年記念の刊行だった。その後、バンドは20周年、30周年と生き延び続け、最後の晩餐と、永遠に続くはずのないメンバーの命を重ねあわせて〝Who's gonna die first ?〟と歌う曲すら作る。そんなライダーズのライブでは、たとえば「Don't trust anyone over 30」は、歌詞の「30=thirty」の部分を齢を重ねるメンバーとファンを揶揄するかのようにforty、fifty、sixty と換えられて歌い継がれるのだ。スタンディング状態の観客がそんな替え歌を楽しげに合唱する様子は、まるで声を合せて念仏を唱え、踊る時宗の衆生たちのようではないか!


ウィッチンケア第6号「『末期の眼』から生まれる言葉」(P210〜P215)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/115274087373/6-2015-4-1

cf.
終わりから始まりまで。」/「お茶ノ水と前衛」/「木蓮の花」/「カメラ人類の誕生

2015/05/26

vol.6寄稿者&作品紹介34 後藤ひかりさん

前号にはいまにもチルアウトしてしまいそうな、冬の光景と心象を描いた作品を寄稿してくださった後藤ひかりさん。最近は<おさないひかり>さん名義で土器をつくったりもしているようですが、そもそも私が後藤さんのことを知ったのは<後藤ユニ>さん名義で出版された「サマーバケーション イン マイ ヘッド」でしたし...後藤さんにとっては名前もまた創作活動の一環なのかもしれませぬ。もしかしたら私のまったく気づいていないところでも後藤さんの作品が発表されていたりして...えっ、あれもそうだったのですか!? なんてことがあったりして、それもまた楽し!?

今号寄稿作「南極の石を買った日」もまた、主人公の「わたし」が<口をぐっとマフラーの中に埋め>たりしているので、寒い季節の物語だと思われます。しかし作品のトーンはぐっと明るく楽しげで...といっても世間一般で言うところの明朗で愉快な話では全然なく...なんというかこのへんが後藤さんの作品の真骨頂なのではないかと私が勝手に思っているのですが、「私」=無垢と邪気(←という言葉ではやや強すぎるけど、でも「洒落」「茶目っ気」というよりはもう少し斜め目線な感じ)が同居した五感で事象と対峙しているみたいな女性、によって語られる独自の世界が展開しています。

骨董屋の店頭の木箱で<南極の石 二千円>という値札の付いた石を見つけ、<赤い粒は少し光るかもしれない>と無垢に惹かれる。でも店の人が出てくると...よく観察しているんです、「わたし」。店の人は<お婆さんというにはまだ少し若いような、白髪の小柄な女性>で、その女性は<寝言のような話し方>をする、とか。そして「わたし」は<この買い物に何か理由が欲しいと思って頭を振り絞った>りしますが、でも<昼下がり、埃っぽい骨董屋で南極の石を買うというシチュエーションがあまりに冗談のよう>にしか思えず...このへんのやりとりの妙味&全貌は、本編でお確かめください!

この石と出会ったことで「わたし」の<南極に対する認識>も変わっていきます。頭の中で描かれる氷山と船の映像、携帯電話でネット検索した文章で拡散していく石へのイメージ、などが選び抜かれた言葉で描写されます。さらさらと流れるような、読みやすい文章。ですが、2見開きに渡って段落分けされることなく一連なりの物語だったりして。当ブログでの引用は横書きですが、ぜひ縦書きの日本語で読んでいただきたいな、と願います。...それにしても、私が南極に思いを馳せるとついつい真っ白デフォルトの中に南極ゴジラとかタロとジロとかが浮かんできてしまいまして(昭和〜w)...本作に登場する赤い南極はとても刺激的でした。


<前略>「南極の石、気になるな。迷ってます」こんどは少なくとも冷やかしではないのだと知らせるためにわざとはっきりとした口調で話しかける。それから、何が分かるわけでもないのに言い訳のように色んな角度から石を眺めてみた。昼過ぎの店先の光が赤い粒に当たって小さく瞬く。やっぱり光るんだ。でもすごく光るわけではない。「そう?じゃあ、まけますよ。どれ見せて。これは二千円?そうね、千五百円にしてあげる」女性はわたしの手の中の石の値札をめくって言った。わたしは少し緊張した。きっと値段で迷っていたわけではないのだけど、何で迷っていたのか、そもそも買おうとしていたのかどうかも分からなくなってしまっていた。「え、ほんとですか。あ、じゃ、買います」財布から出した二千円を持って奥へ入っていく女性の背中を見ながら、この買い物に何か理由が欲しいと思って頭を振り絞ったけれど、昼下がり、埃っぽい骨董屋で南極の石を買うというシチュエーションがあまりに冗談のようだったので、やっぱり何も考えられず、こんなところに何十年もいたのでは寝言のような話し方になってしまうのも無理はないと思った。<後略>

ウィッチンケア第6号「南極の石を買った日」(P206〜P209)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/115274087373/6-2015-4-1

cf.
冬の穴

2015/05/23

vol.6寄稿者&作品紹介33 須川善行さん

元『ユリイカ』編集長で『憂鬱と官能を教えた学校』(菊地成孔/大谷能生著)、『MUSICS』(大友良英著)等の編集者・須川善行さんは映画も制作(プロデュース)していて、その作品はミュージシャン・倉地久美夫のドキュメンタリー「庭にお願い」。私はいつだったかネットで偶然倉地久美夫の演奏を見て衝撃...それはいにしえのレコード屋でA〜Zチェック中に店内でかかった未知の音楽で電流が走り「これなんですか?」みたいな偶然ゆえの衝撃...を受け、同映画を観にいきました。ちょっと文字では表現しにくいのですが「こんな風にギターを鳴らせる人がいるのか」と...それをもう少し確かめたくて。

須川さんの今号への寄稿作は↑の私のようなエクスキューズ(音楽をテキストで語れない...)とは正反対の人、間章についてものです。ご自身が編集に携わった間章著作集全三巻の第一巻「時代の未明から来たるべきものへ」の最後に約20ページほどの「編集ノート」があってそれへのあとがき、というのがこの長〜いタイトルの正確な説明なのですが、では本作を読む前提は「間章著作集全三巻読破!」かというと...まったく正反対。むしろ「そもそも間章って、なんて読むの?」という人にも筆者が並走してくれる、逆引き水先案内のような作品を寄稿してくださいました。

高校生の私はくすねた小遣いで買ったショートホープを持ってジャズ喫茶に出入りしていました。町田にも雑居ビル3階に「カラビンカ(kalaviṅka)」という店(制服喫煙OK、でもお喋り厳禁)があってフリージャズ大音量! 私はそのあたりで逃げ始めたんですね、恐そうなジャズから。ジャズだけでなくロックでも「ここから先は立ち入らないようにしよう」と線引きして踵を返し始めた。日本の音楽だとわかりやすいかもしれないので名前を挙げると、灰野敬二、あぶらだこ、じゃがたら...ざっくり言うとかつて明大前にあった「モダーン・ミュージック」で売ってるレコードは全部恐かった(でも散財したw)。間章は長く私にとって、恐い音楽側から「こっちおいでよ〜」と手招きしている人のように思えていたのでした。違う言いかたをすれば、この人の評論に足を踏み入れると、それまで自分が組み立ててきた<居心地のいい場所>が根底から揺さぶられそう、という畏怖(畏敬)。

寄稿作内の最後の2行には、「やっぱり、ですか」と震撼。すでに人生も黄昏時なのでもうあんまり恐いものもなくなってきたし、私も少しずつでも足を踏み入れてみようかと思います(あっ、USTREAMにある須川さんの「時代の未明から来るべきものへ」解説もおもしろいです!)そして須川さんには、じつは小誌創刊時(よりさらに前のゲラ校正紙段階)に岸野雄一さんのご紹介でアドバイスをいただいたことがあり、その時の「きっと読みたい人いますよ」という言葉にはずいぶん勇気づけられました。あのときのご縁が今作に繋がったこと、たいへん嬉しく思っています!


 間の文章は晦渋だともいわれるが、読んでまったく意味のわからないものではない。先の引用箇所をいま読んでみても、その強烈な魅力はおそらく伝わるだろう。しかも、いわゆる空疎な美文とはまったく逆に、いうべきことはきちんといわれている。だが、これまではいつも文体の特異さばかりが取りざたされることで、伝えるべき内容(と、あえていおう)についての検討がなおざりにされてきたのだ。
 これは間の不幸とばかりも呼べないところがある。間はこうした書き方を意図的に選んでいるからだ。そこには、音楽的探求と文学的探求を同時に推し進めるという内的なモチーフと、あえて秘教的な書き方を選ぶことで読者のハードルを高くするという対外的なモチーフが同居していただろう。
 その是非はここでは問わないが、著作集刊行にあたり、先に述べたような淀みをなんとか抜け出して、間のテクストに新しい光を当てたいと考えていたことは間違いない。そのためには、間の文章を整理して並べるだけでは不十分で、二一世紀の読者のための新しい入り口を用意することこそが編者の仕事だという孤独な動機づけを自らに信じ込ませる必要があった。

ウィッチンケア第6号<死者と語らう悪徳について 間章『時代の未明から来たるべきものへ』「編集ノート」へのあとがき>(P200〜P205)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/115274087373/6-2015-4-1

【追記】
5/29 掲載後、「モダン・ミュージック」の正式名称は「モダ〜ン・ミュージック」とのご指摘をいただきました(感謝!)。また「カラビンカ」については須川さんより<間章がプロデュースしていたデレク・ベイリーの最初の日本ツアーの中で、カラビンカで録音したものが作品にもなっています>との情報が! なんと数奇な...。
http://bit.ly/1JWKMDF

2015/05/22

vol.6寄稿者&作品紹介32 かとうちあきさん

2010年の「野宿入門」刊行以来、ほぼ毎年1冊くらいのペースで新刊を発行しているかとうちあきさん。昨年秋には「バスに乗ってどこまでも 安くても楽しい旅のすすめ」が出ましたが、今年も!? そんなかとうさんが横浜にお店(のようなもの)を持ったのは昨年10月でして、今号寄稿作には開業するに至った経緯が綴られています。...ええと、小誌校正担当の大西寿男さんはかつてご自分の校正という仕事を「積極的受け身」と表現していましたが、かとうさんの今回の決断はその真逆で、「消極的責め技」みたいな印象を抱かせます。

<働くのがイヤ>で<お金を使わないのがいちばん>なんだけれども、それでは生きていくうえで問題なわけで、では問題を解決するには? じゃあ自分でいままでにない種類のお店をつくっちゃえ、という発想。 かとうさんがすごいのはそれを実行しちゃうところでして、作品内では淡々と語られていますが、物件探し〜引っ越し〜店づくり〜商品(のようなもの)の手配〜新しい地元共同体とのコミュニケーションという、<働くのがイヤ>で<お金を使わないのがいちばん>だと思っている人がクリアするにはかなりハードルが高そうな案件を、さらっとクリアしてしまうパワー。ふんわか馬力というか、なんというか。そして思わずみんなが協力したくなっちゃう(なぜかかとうさんのご紹介をしていると「っちゃ」を使いたくなる)お人柄というか佇まいも...。

お店のようなもの」があるのは 横浜市南区中村町。<活気あふれる横浜橋商店街を抜け、道路を渡って中村橋商店街に入ると、ぐんと人通りが少なくなる>と記された場所に実際お邪魔してみると、あ〜、なんかこの雰囲気って、新宿や渋谷に対する千駄ヶ谷あたりみたいな位置関係なのかな、と思いました。みなとみらい21まで、きっと本気で歩けば30分で着きそうな場所だし。なにより羨ましいのは横浜橋商店街、そしてその周辺に個性的なお店がたくさんあること。ですので、小誌の「試読会のようなもの」でお世話になったさいにはお総菜選びで至福のひとときを過ごせました!

そしてそしてそのイベントのあいだ、私は密かに商店街から持ち寄った焼き鳥を串食いしていまして、いやぁ、こればっかりは自分勝手といわれても譲れませんでして...スイマセン。ネットには<焼き鳥を串から外すタイミングは…好感度UPの居酒屋メニューの美しい食べ方>なんて記事もあって、そこには「冷めるとお肉が串にくっついて外しにくくなって」なんて理由も書いてありますが全然納得いかない(好感度UPのためにするの?)。そもそも串抜いた時点で「焼き鳥」ではなく鳥の焼いたもの...鳥にとっては二度目の死、ってなんで焼き鳥の話になっちゃったのか!? 今度、再びかとうさん我妻さんと焼き鳥問題について議論したいです〜。


 ちょうど、働くのがイヤだ、という気持ちも高まっていた。なるべく働かずに暮らすためには、お金を使わないのがいちばんだ。そのためには近所にたくさん友人がいるといい。ちょっとしたものの貸し借りもできるし、会うのに交通費がかからないから。近所にいない場合は、友人が遊びに来てくれるといい。わたしに交通費がかからないから。じゃあとりあえず、来てくれるような場所をつくっちゃえばいい。場所があったほうが近所で新しい友人もできそうだし。
 それに、働くのがイヤならば、イヤではない「商売のようなもの」を自分でつくる試行錯誤をした方がいいとも思った。
 それで友人らを、一緒に引っ越ししようよと誘いつつ、店のようなものをやることにしたのでなにか売れそうなものをくれと頼みつつ、物件を探して借りたのが、いまの「お店のようなもの」だ。
 横浜市南区中村町。活気あふれる横浜橋商店街を抜け、道路を渡って中村橋商店街に入ると、ぐんと人通りが少なくなる。そこも抜けて橋を渡った通りは、もはや商店街とは言い切れない「商店街のようなもの」。その寂れっぷりや、ところどころ残っている昔ながらのお店が味わい深くて、一目ぼれだった。


ウィッチンケア第6号『のようなものの実践所「お店のようなもの」』(P196〜P199)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/115274087373/6-2015-4-1

cf.
台所まわりのこと」/「コンロ」/「カエル爆弾

2015/05/21

vol.6寄稿者&作品紹介31 円堂都司昭さん

ソーシャル化する音楽 「聴取」から「遊び」へ』等の著者・円堂都司昭さん。私は円堂さんが「ロッキング・オン」で執筆(遠藤利明さん名義)したものをたくさん読んでいました。今号に寄稿してくださることになり『ディズニーの隣の風景: オンステージ化する日本』も拝読...正直、私はTDLには興味ないんですが(でも、たしかそこでG.ルーカスにインタビューしたことあったはず)...でも浦安という町の歴史の本として興味深く読みました。一住民として自転車で町を走る円堂さんの姿が目に浮かぶよう...とくに東日本大震災直後の体験をもとにしたドキュメントは、ああ、私も間違った認識だったな、と反省。中町、新町地区が埋め立てられてできた経緯を知っているのと、たんに「ディズニーの近くの町でも液状化被害」と聞かされるのでは...。

円堂さんは現在<今夏刊行が目標の単行本のため、原稿を書き続けて>います。テーマは「終末論」だそうで、小誌今号への寄稿作は、この本のスピンアウト的位置づけなのかも!?  楳図かずおの『漂流教室』への思い出(<当時通っていた床屋に行くたびに読んでいた>、と)や、その頃感じていた事柄について、現在の視点で検証されています。楳図先生は...私は子どもの頃に買った「紅グモ」のコミックスをまだ持ってるはず(「おろち」も読んでいた記憶が)。世間一般では「まことちゃん 」や「漂流教室」が代表作なのかな。リアル楳図先生に浪人生のとき、高田馬場のFIビルの地下の喫茶店で遭遇したことがあり(カウンターにいた!)、ほんとにボーダーシャツ着ている、と恐れ戦きました。

円堂さんが<特にインパクトが強かったキャラクター>として挙げている「関谷」は、私にも記憶がちょっぴり残っていました。大和小学校がタイムスリップした未来で<戦中戦後の出来事を、目前の現実にあてはめるかのごとき態度をとる>この男...個人的には、バブルの頃あたりまではこのテのおっさんがけっこう世の中で幅利かせてたな、という印象があります。違和感を覚えるでも反発するでもなく、ただ「普通にいるなぁ」と。新卒後3年ほどの営業マンとしての宮仕え時代、「オレはウチの会社の社員教育に修身の教科書を使いたい」みたいな発言した人、少なくなく見たし。ごもっともとは1回も思いませんでしたが、他人を従わせたい人には便利なのかな、と。いまもいるんですね、びっくり。

本作において、円堂さんは『漂流教室』とともに『はだしのゲン』も再読し、両作の共通点を見出しています。どちらも描かれている世界はダーク&ハード、しかし作品に込められた、ポジティヴなメッセージとは? 最後まで読んで、私はふと「夜空のムコウ」を口ずさみそうになりました。あの頃の〜Wow---- Ah Baby--♪ そして『漂流教室』や『はだしのゲン』は、この夏に刊行予定の「終末論の本」では、さらに深い分析で語られることになるのか? 一読者として、その全貌を楽しみに待ちたいと思います!


 このマンガが連載されたのは、中東情勢の悪化で石油危機が起きた時期である。テレビの深夜放送や街のネオンが自粛され、トイレットペーパーの買いだめ騒ぎが起きるなど、不安な世相だった。当時は、原油埋蔵量は有限であり、将来に涸渇するのではないかといわれていた。公害の元凶である工業化や大量消費型の文明を批判する声も高まっていたのだ。『ノストラダムスの大予言』的な核戦争や公害による暗い未来像が、『漂流教室』の背景にあったのである。
 物語のなかで特にインパクトが強かったキャラクターは、給食のパンの納入業者である関谷だ。彼は、子どもたちにためらわず暴力をふるって学校に残る少ない食糧を奪い、独り占めしようとする。関谷はいったん捕えられ、ロッカーに閉じ込められた。しかし、嘘をついて脱出し、食事を運んできた子どもの顔に「こんなラーメンなんかくえるかっ! !」とどんぶりを叩きつける。さらに、首から上全体が麺と汁にまみれたその子の顔面を思いきり蹴り上げ、ノックアウトしてしまう。この場面を初めて読んだ時の恐ろしさは、よく覚えている。見るだけで痛いくらいだった。


ウィッチンケア第6号「『漂流教室』の未来と過去」(P190〜P195)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/115274087373/6-2015-4-1

vol.6寄稿者&作品紹介30 長谷川町蔵さん

小誌第4号より、自身の出身地・東京都町田市が舞台の小説を寄稿してくださっている長谷川町蔵さん。いつも駅周辺の飲食店が登場するのですが、前々作では町田駅前商店会にそびえるマクドナルド、前作ではそこからパークアベニューを東南に進んだプリンスとノイズ、そして今号寄稿作では、さらにもうちょっと東南に進んで路地を左折する町田仲見世商店共同組合へと。あっ、私も在町田なので昨日、写真撮ってきました(幸町商店会側からですが)。作品を読むと、マスターのオンダさんとナンバが働いているお店って、限りなく「くらしの百貨 YABE」の数件奥くらいだったり...よく知っている場所がテキストで書き記されているとみょうにドキドキします(ヤベ君は私の高校の同級生...)。作品内ではプリンスのその後も語られていたりして、変わりゆく街の様子がリアル。


タイトルはトフラーではなく(古!)ポートランド〜清澄白河系コーヒー(が象徴する生活スタイル!?)に由来しているようです。作品内の「Hanako」記事には<日本でも話題のサードウェイブ・コーヒー。じつは町田にもあるのです>とあって、私は<にも>が感慨深かった...私が20代の頃の町田のサンケイリビングとかに「原宿・表参道で人気の美容室が町田にも!」みたいなパブ記事、あった。まあ、大元もポートランドが東京<にも>なんだけど、<町田にも>の場合に漂う、多摩川渡っちゃった感...。あっ、長谷川さんはこうしたカルチャーに造詣が深く、接し方のスタンスは愛のあるクールさで...私は2年前のB&Bでのイベントですでに紹介していた「Portlandia - Put a Surfing Bird On It! 」を、いまでもときどきおもしろく見ています。

ナンバという女の子が、とても魅力的に描かれています。最初は「いい高校入ったのに辞めちゃったダメな子」として登場。でかくてシャクレ顎で、服装はいつもポケットの端が擦り切れたエンジのパーカー...でもアルバイトを始めたことで才能が開花して、マスターの目に映る彼女の姿も違って見える。ちょっと魔法少女みたいなんですけど、ナンバの内面も断片的な記述ながら伝わってきて、胸が熱くなります。対して、世間一般でいう「可愛い女の子」として登場する裕子...筆者は<いかにも類型>みたいな筆致で淡々と役割を担わせ、その後バッサリお役御免に。長谷川さんが人のどんな側面に面白味を感じているのか、興味深かったです。

今年の夏には新刊(仮題:「ヤングアダルトU.S.A」?)が控えている長谷川さん。巷では「サードウェイブ系男子」なんて言葉もちらほら聞こえますが、ぜひいつかご意見を伺ってみたいものです。...しっかし、最近の町田の市街地はほんとに賑やかで、私の抱いている「多摩川渡っちゃった感」のほうが古いのかも。スマホを武器にしたナンバのたくましさを見習って、私もパークアベニュー(←っていつからこんな名前に!? 原町田駅と新原町田駅が離れていた頃は通称「遅刻通り」じゃなかったっけw?)のあたりで楽しくやるか。
 

 ナンバが、焙煎機をレンジの上に置いて火を点ける。今晩はちょうど10回目になる。彼女がこれを使い始めたのは働きはじめて2ヶ月くらい経ったころだ。棚を指差して、これは何なのか尋ねてきたことを覚えている。
「あー、これね。コーヒーの焙煎機。これをガスにかけながらぐるぐる手で回してコーヒー豆を炒るわけ。ウチの前にここで営業していたのが喫茶店でさ、その名残り」
「やっぱり。これでコーヒー作ろうかな」
「お前さ、駅からここまでちゃんと目を開けて歩いてきてる? ドトール、エクシオール、スタバ、上島、サンマルク。全部あるんだぜ。プリンスって古い喫茶店あったろ? あそこも無くなっちゃってオシャレなカフェに模様変えしちゃったし」
「こういうの流行ってるみたいっすよ」
「たしかに趣味でやっているような店は使っているけどな。これでコーヒーを作ったら美味しいように思えるだろ? でも実際は工場で焙煎した方が絶対ウマいわけ。これでコーヒーを作ってもセブンイレブンの足元にも及ばないって」
 業界での経験に基づいた知識でそう説明したが、ナンバの威圧感に押されて俺は勝手にやらせることにした。試しにコーヒーを作ってみたけど案の定、皮の雑味が混じった渋い味にしかならない。値段はせいぜい150円ってところだろう。でもナンバは500円と殴り書きしたメモをカウンターの前にぶら下げた。世間知らずはおめでたい。大体ワインバーのコーヒーを誰が飲む?


ウィッチンケア第6号「サードウェイブ」(P182〜P189)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/115274087373/6-2015-4-1

cf.
ビッグマックの形をした、とびきり素敵なマクドナルド」/「プリンス・アンド・ノイズ

2015/05/20

vol.6寄稿者&作品紹介29 柳瀬博一さん

小誌前号では<三浦半島からはじまり、房総半島で終わる>国道16号線を基軸に日本の<文明の、文化の「かたち」>を考察した作品を寄稿してくださった柳瀬博一さん。掲載誌面がなぜか突然NHKの「ドキュメント72時間 に映し出されて驚きましたが、今号ではその三浦半島にある「小網代の谷」の保全活動について、ご自身の体験をもとに紹介してくれました。柳瀬さんはNPO法人 小網代野外活動調整会議」の理事として、母校である慶應義塾大学の岸由二教授等とボランティア活動を続けています。

小網代の谷の特徴は<「流域」がまるごと自然のまま残っている>こと。1960年半ばまでは地元民にとっての里山で、木道以外の人工物が一切なかった土地...それが時代の紆余曲折を経ても、そのままの姿をとどめていることです。写真等でもわかりますが、試しにGoogleマップで見てみると、小網代の森〜白髭神社のあいだは川が流れているだけで、他にはみごとに、なにもない! 寄稿作内ではこの土地が辿った数奇な歴史が詳しく記されていますが、「NPO法人 小網代〜」HPの<保全の歴史>の項にある年表を参照すると、企業や行政との関係もリアルに垣間見ることが...

個人的にもこの地域は若い頃によく遊びにいった場所。小網代から約2キロほど北西の三戸周辺は「彼女が水着にきがえたら」(ユーミンとスキーでヒットしたから二匹目はサザンとマリンスポーツ、というバブル時代の映画...)のロケ地だったはずで「サーフサイドビレッジ には私も泊まったことあったなぁ...なんて私の与太話はどうでもいいですが、しかし当時の実感覚からしてもあの一帯はまちがいなく「ドル箱リゾート」で、...よく残ったなぁと。いや、「残った」のではなくて、現在の姿に「開発」された、ということを、柳瀬さんの寄稿作で知りました。環境保全への取り 組みについて、示唆に富んだ、とても大事なことが書かれています。ぜひ本編を、多くのかたに読んでもらいたいと願います。

1月に「インターネットが普及したら、ぼくたちが原始人に戻っちゃったわけ を上梓した柳瀬さん(小林弘人氏との共著)。同書やSNSでの書き込みでは簡潔な文章に接することが多いですが、小誌では尺の長さを活かした、情報ととも に情緒も伝わるような文体で自然を描いています。<あなたが雨粒になって、この小網代源流部に降り注いだとしよう。あなたはマテバシイの葉の上で跳ね、幹を伝って地面につき、他の雨粒といっしょに急な斜面を流れ落ち、小さな川に注ぐ。川の水となったあなたは、くねくねと谷を下る。流れの中にはサワガニが潜 んでいる〜後略〜>と、まるでSFの加速装置がオンになったように、源流から海までの光景が切り替わっていく。本作を読んで小網代に魅せられたかたは、ぜひ毎月第3日曜日におこなわれるボランティアウォークにご参加を!

 
 このゴルフ場開発計画が、結果として小網代の自然を生み、そして守ることになる。リゾート開発が、ある意味で小網代の自然を保全したのだ。大規模 開発が計画された小網代の谷は、市街化地域にもかかわらず、数十年にわたってほったらかしとなり、一軒の家も路もつくられなかった。周囲の自然が次々と宅 地へと変貌していく中で。小網代の薪炭林は自然林へ、水田は湿地へと推移し、見事な「野生の自然」へと戻っていったわけである。
 そんな小網代の谷に、私が岸先生につれてこられたのは授業をとっていた1985年夏のことだった。偶然できあがった小網代の自然がゴルフ場に変貌するやもしれない直前である。
  オオバヤシャブシの枝から滴り落ちる樹液に、カブトムシやクワガタが群がる。川沿いの土手に堀った穴から真っ赤なハサミをふりかざす無数のアカテガニ。広 大なアシハラの緑を風が渡るのが見える。オニヤンマが悠々とその上を飛ぶ。広大な干潟には数千のカニたちがうごめき、満ち潮ともなればイワシの群れを追っ てスズキが入ってくる。河口のよどみには大きなウナギが顔をのぞかせ、頭上にはオオタカが舞い、鋭い声をあげカワセミが光の矢となって、湾を渡る。
 一目惚れだった。初めて出会った小網代の谷に。自分が小さな頃から図鑑で見てテレビで見て思い描いていた「理想の自然」がそこにあった。

ウィッチンケア第6号『ぼくの「がっこう」小網代の谷』(P172P181)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/115274087373/6-2015-4-1

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16号線は日本人である。序論

2015/05/19

vol.6寄稿者&作品紹介28 三浦恵美子さん

三浦恵美子さんの今号寄稿作は、私のなかの「ドラえもん不在問題」をあらためて考えるよいきっかけになりました。というのも同作、かすってもないんです。wiki見ると1970年1月号の学年誌(「小学一〜四年生」など)にて連載開始なんですね。私、その年小4でしたがもう学年誌読んでなかった。...っていうか藤子先生はオバQやパーマンで“卒業”しちゃって(小池さん!)、1968年(昭和43年)1月1日号から「少年マガジン」に連載された「あしたのジョー」に夢中だったような(第1回から読んだ記憶あり/「巨人の星」はもう甲子園大会あたり?)。

野比のび太君とはほぼリアル同い年で「ドラえもん」もちらっとは読んだはずですが、共振しなかった。空き地でジャイアンとではなく、四角いジャングルで力石徹と闘わなければ、と(マンモス西になってはいけない、と)。<和室の真ん中に布団を敷いて寝る>子供部屋の住人でしたが、部屋に四次元ポケットのあるネコ型ロボットがきて友だちになってくれたら、って発想は皆無で、早く強く(身体大きくなることも含め)なり家を出たかった。源静香ちゃんも全然で、さすがに白木葉子さんは怖かったけど、林紀子や春日野すみれや大柿キク子(ちがうマンガ混入)のほうが...。いや、こんな感じなので三浦さんが<永遠の子供時代の中に棲息する「ドラえもん」の方が、ある意味では決定的な異端>と書いてくれてむしろほっとしているのですが、まあ、あの頃の日本の子供みんなが「おれはジョー」だったら、危険な社会過ぎる!?

寄稿作の後半で三浦さんが<ドラえもんの〝なれの果て〟にも見える「異生物」>としている輩の存在のほうが、私にはすっきり理解できました(「デスノート」は未見ですが「寄生獣」はある時期まとめ読みしたことあり)。<「ドラえもん」と「死神リューク」「寄生生物ミギー」で共通する点もある。「全能」である点>という指摘がありますが、「ドラえもん」はともかく、高校生くらいになると男子は「理想の自分(必ずしも優秀や善ではない)」と「現実の自分」に割れてきたりもしますから、自己内対話では「理想の自分」のほうには全能でいてもらいたいかも。また「ドラえもん」が万人の目に見えて違和感ないのにリュークやミギーが<他の人の目には見えない、本質的に〝不吉な〟存在>なのは、けっこう「小学生だったらお風呂から裸で出てきて扇風機にあたりそうだけど、さすがに高校生(もう子供とするには不吉なフィジカル)は...」みたいなことのメタファーだったらどうしましょう?

私はむかしもいまも女の子が不思議ですが女性から見た男の子もまた不思議な存在だということが少しわかりました。大人になると「同じ人間」というものさしで測ることが多くなるので...あっ、でも最近はいくつになっても「女子」「男子」の話が盛んで(子供のまま延長戦かw)。それにしても「ドラえもん」がなぜ国民的マンガにまでなったのかはよくわかりません。三浦さんは<原型は、子供が大切にしている人形や、ぬいぐるみや、ペットの動物なのだろう>としていますが、男の子(というキケンな存在)って、ぬいぐるみやペット、必要? というか、のび太君とロボットの関係より、金田正太郎と28号ならすごくよくわかる(また混入...)。


 作者の藤子・F・不二雄は、たまたま家にあった赤ちゃん向けのおもちゃ、だるま型の大きな目をした赤いセルロイド製のおきあがりこぼし(昭和中期まではごく身近にあった!)、あの赤ちゃんが揺らすとからんころんと優しい音を鳴らす子守りおもちゃからドラえもんを発想したとどこかに記していたが、確かにドラえもんは優しい。「癒し系」だ。それでいて「全能」である! 窮地に陥る度にドラえもんの「ひみつ道具」に助けを求めることになるのび太くんにとって、異生物としてのドラえもんは、とどこおりなく日常を生きるために欠かせない、自らの欠損を埋めるための必需品としての「パーツ」である。逆に言えば、ドラえもんという一片が欠けたとき、のび太くんの平穏で幸福な小宇宙は瓦解する。

 原型は、子供が大切にしている人形や、ぬいぐるみや、ペットの動物なのだろう。しかし、そのトランスフォーメーション先としての、ドラえもんに似た異生物というものは、日本の外にもいるのだろうか。

 子供部屋に潜み、あるいは子供部屋を頻繁に訪れ、子供と一緒にその生を生きる、彼らにとってはなくてはならない〝相棒〟としての、異世界の生き物。(家族や友達や「人間」であってはならない。)


ウィッチンケア第6号「子供部屋の異生物たち」(P164〜P171)より引用
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〈TVガーデン的シネマカフェ〉試案

vol.6寄稿者&作品紹介27 山田慎さん

ご自身も寄稿作内で<そんな僕が年間300軒以上のパン屋へ行くようになってしまったのだから、人生どう転ぶか分からない>と驚いていますが、レイ ハラカミの音楽がご縁でご寄稿をお願いするようになった山田慎さんのパンへの傾倒ぶり、ほんとに熱いです。300軒以上のパン屋へ行く...って、行くからには買うでしょう、それもせっかく来たんだからってあれこれ買うでしょう...でっ、それきっと全部食べるでしょう...1日1食、いやそれ以上パン!? それも常食(いつも食べている味)ではなくて、未知(の味覚)との遭遇が普段の生活になっている...私は「いっつも同じもの食べてるとわりと安心」系人間なので、すごいなぁ、と。

作品内に出てくるナカガワ小麦店の、店主のパンづくりに取り組む姿勢の紹介のしかたが印象深いです。<毎日同じものを規則正しく作るのだ。刀を振り続ける侍の如く、鍛錬されたパンは日に日に研ぎ澄まされ、美味しさを増す>...やっぱりそういうことなのかなぁと納得しました。店主の顔が見える感じのパン屋さんって、どこの町にでもけっこうあって繁盛してますよね(すぐそばにコンビニができたりしても)。私のおいしかったパンの思い出は、もう20年近くまえだけど世田谷の上町から桜新町のほうに散歩していて、弦巻で偶然見つけたベッカライ・ブロートハイムというパン屋さんでちょうど焼きたてのバケットを買ってひとくち食べたらうますぎて歩きながら全部喰っちまってけっきょく夕飯食べられなくなった、と。

山田さんがネット上で主宰する「PAINLOT」(パンロット)も充実しています。その活動は現在住んでいる京都にとどまらず、東京←→京都の架け橋になっていたり。また、パンのページにアクセスして<“パンを食べワインを飲むことは身体の混合である”(『千のプラトー』ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ著、P102、河出書房新社、1994年)>なんて文章に出会うのも、山田さんらしい!? イベントのBGMにこだわるなど、音楽好きの一面もPAINLOTでの企画に活かされているようです。

...しかしパンのおいしさについて感覚が研ぎ澄まされていくってことは同時に「おいしくなさ」にも敏感になるのではという気がしなくもなく、ということは個々の生活スタイルにもよりますが、普段を普通に(!?)集団の中で生活していると普通の人が普段普通に食べている類のパンの味についても「わかるひとにはわかる」感想を持っちゃうんじゃないか、と...いやこれは最近の私の問題なのですがあんまり「なにがおいしい/おいしくない」を気にするといまの生活環境(チェーン店/コンビニ系に包囲されている...)では「おいしくない」に遭遇する機会が多く...この不幸から抜け出すひとつの方法は「食べ物に無頓着になる」かな、なんても。山田さんにはぜひ「おいしいパンを食べることが生活そのもの」みたいな幸せを掴んでほしいと思います!


 京都市内をまわると、そこかしこにパン屋がある。東京や大阪に比べると賃料が安く、京都駅や河原町など繁華街の近くにもリテイルベーカリー(個人のパン店)が出店し易いのだ。街が大きくないので市バスででも、自転車ででも、何軒でもハシゴできるのが、パン好きにとって大きなメリットである。また、水源となる琵琶湖が近く、おいしい水に恵まれているということも、パン屋が増えたきっかけではなかろうか。

 こうしてドヤ顔で講釈しているのだが、正直に告白すると3年ほど前はパンに関心がなかったのである。パンと言えばあんパンのことであり、それはお菓子だった。両親が稀に買ってくるバゲットは、子供の頃は硬くって好きではなかった。そんな僕が年間300軒以上のパン屋へ行くようになってしまったのだから、人生どう転ぶか分からない。


ウィッチンケア第6号「パンと音楽と京都はかく語りき」(P160〜P163)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/115274087373/6-2015-4-1

cf.
レイ・ハラカミの音楽とペリカンのロールパン」/「音楽 日本 京都

vol.6寄稿者&作品紹介26 荒木優太さん

在野研究者の荒木優太さんは2013年に単著「小林多喜二と埴谷雄高」を発行。En-Sophでの連載「在野研究のススメ」はvol.01:小阪修平に始まり、最新のvol.20 : 小室直樹まで不定期に続いています。同連載を始めるにあたり、荒木さんは「在野研究のススメvol.00 : 大学の外でガクモンする?」という一文を寄せており、そこで<そもそも在野研究とは何なのか。例えば、在野研究者がアカデミシャンとは異なるとしても、では評論家とは違うのか。作家とは違うのか。活動家とは違うのか>について、4つの条件を挙げて自分なりに定義しています。同文には<トライ&エラーこそが在野>という一節もあり、このあたりは小誌今号寄稿作にも共通する荒木さんの〝姿勢〟が垣間見えるような...。

「人間の屑、テクストの屑」と題された寄稿作はエリック・ホッファーを話の枕に、吉本隆明の小林多喜二「党生活者」への批判に対する論考、そして寺田寅彦へと...やべぇ敷居高(俺「党生活者」どころか「蟹工船」も読んだことないし!)、 状態で読み始めましたが、荒木さんがわかりやすくまとめてくださっているので浅学なりにでも入っていけまして、それによりますと、どうやら吉本さんは「党生活者」に登場する「伊藤」という女性を<まつたく人間の屑としかいいようがない>と批判しているのですが伊藤女史の為人はともかく、荒木さんは<『党生活者』が少なくとも「屑」を一つの隠れ主題にしたテクストであることには同意できる>として、そこからタイトルにある「テクスト」や「屑」に対する考察を拡げていきます。

作内ではもうひとつ、「スクラップ・ブック」という言葉が重要な要素として取り扱われています。引用内にある<スクラップ・ブックという書物の形態は、単なる編集可能性だけでなく、公的な出版物を一旦「屑」状にして私的な形で保存し、様々な知や経験へのアクセスを維持しようとするテクストの生存戦略として読み直すことができる>という箇所で揃い踏みしていますが、寄稿作全体の要旨も、ここに表されているような気も。そしてここでいう<テクストの生存戦略>という捉えかたの〝姿勢〟が、冒頭に紹介した「在野研究のススメ」はvol.01内の<トライ&エラーこそが在野>と、二重写しにも読めるような。

研究分野の専門家以外でも、荒木さんの様々なテクストが広く読まれていけば、と願います。今号への寄稿作はご自身のフィールドの直球ど真ん中剛速球(...みたいなたとえかたをするたびに「いったい自分ってどれくらい野球が普通だった時代に育ったのか/梶原一騎の影響から一生抜けられないのか」みたいに悩む...)ですが、SNSなどでは<故人を取り扱う>だけでなくリアルタイムの事象にも(それも、なぜその話題に反応しますか!? みたいなことにも)活発に発言している荒木さんでして、そちらの茶目っ気もチャーミングなので〜。


<前略>このように考えてみたとき、スクラップ・ブックという書物の形態は、単なる編集可能性だけでなく、公的な出版物を一旦「屑」状にして私的な形で保存し、様々な知や経験へのアクセスを維持しようとするテクストの生存戦略として読み直すことができる。
 スクラップ・ブックとは〈すべて〉が禁じられた書物である。並べられたスクラップのひとつひとつが、しばしば出典情報をなくした元のメディアのかたちを暗示する。そして、失われたメディアの想像的な全体像を夢見させ、読むたびごとに、ひとつのブックに複数の亀裂を生じさせる。それはいくつもの夢の残滓の結晶体であると同時に、失われたいくつもの夢の忘れ形見でもある。
 おそらくは、屑でなければ、〈すべて〉を打ち捨てなければ、生き残らないテクストがある。逆にいえば、屑だからこそ生き延びられるテクストがある。屑のテクストは、他の屑と連帯して本来備わっていた作者の意図やメディアの文脈を微妙に交代させつつ、別の仕方での転生を果たす。それに比べて〈すべて〉の書物は、巻数や章節や頁数によって屑を目次の一部分として飲み込んでしまう。そして、いくつもの夢が〈すべて〉に収奪されたとき、墓石としての書物が、つまりは生き延びることをやめた死物としての書物が完成する。完成、それは〈すべて〉の別言である。
<後略>

ウィッチンケア第6号「人間の屑、テクストの屑」(P154〜P159)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/115274087373/6-2015-4-1

2015/05/17

vol.6寄稿者&作品紹介25 出門みずよさん

これまで小説を寄稿してくださっていた出門みずよさんは、今号には俳句で参戦(?)! えっ!? 俳句も嗜まれていたのですか? と最初はびっくりしましたが、聞けば今回が初めての経験で、句会に参加したこともないので「苦界前」というタイトルなのだとか。さっすが、出門さん。小誌の勘所(いままでやったことのないことをおもしろがってみる)を、押さえていらっしゃる! もちろん「喜んで」と寄稿依頼したのですが...。

はて、私はこの紹介文で、なにを書けばいいのでしょうか!? 掲載された四十句を味わい、感想を述べる...いや、それは。しかも約680字(五七五×四十句)のご寄稿に対して、頓珍漢にそれ以上の字数を費やしても...。

悩んでいるうちに、むかし「BRUTUS」かなにかで局所的に流行したロック川柳というのを思い出しました。検索したらtogetterでもまだ生き存えていましたが、私のなかでいまも覚えているのは<金がなく売っちまった対自核>(少しあやふや)。なんか、これなら私にもできそう。ですので以下、出門さんとネット句会でも開催しようと思いましたとも。拙作と本編からの引用を比較することで、出門さんの作品のすばらしさが、広く多くのかたに伝われば光栄でございます!

では、

転がってメインストリートのならず者
太陽と戦慄パート2ゼリー寄せ
こわれもの海洋地形学危機ドラマ
ダルトリーエントウィッスルあんた誰
リボルバーレットイットビーイエスタディ

<おまけ:黒い川柳>
クリントンブーチーコリンズP-Funk




春落葉ごめん連発男の背
パー子並みの全身ピンク現る春の宵
「人たらしぢやね?」とは空耳か春の暮
既に半身化けてる猫に寒施行
風死せり「マジ気合ーひ」とか言つてみる
人生のミラクル具合を知る守宮


ウィッチンケア第6号「苦界前」(P150〜P153)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/115274087373/6-2015-4-1

cf.
天の蛇腹(部分)」/「よき日にせよとひとは言う

2015/05/16

vol.6寄稿者&作品紹介24 友田聡さん

前号への寄稿作では走ることのおもしろさ、走るようになったことで変わった自分についての作品を寄稿してくださった友田聡さん。個人的にも長いおつきあいですが、私の立ち位置からすると「友田さんって変わり続ける人だなぁ」という印象があります。いや、人としての根っこはずっと同じなんですが、つねに好奇心旺盛で、生活スタイルが変わることを怖れずむしろ楽しんでいるような。ときどき、パッと見も変わっていたり(笑)。走り始めてからの友田さんは、ぐっと精悍になりました。私なんか20歳から身長も体重も一緒。着るものも食べるものもほとんど一緒。ただFAX送受信回数を重ねた書類のように劣化しているだけで。

そんな友田さんの今号寄稿作は、生活が変化するきっかけのひとつとなった、中国での体験が語られています。<上海万博を翌年に控えた二〇〇九年。初春から初冬までの九カ月間、上海の街で暮らした>。日本を離れたことで、日本にいると形骸化してしまったように思えた「節句」の意味を再認識した...もちろん、節句は「旧暦」で感じてほしい、と。そうすれば<季節の移ろいがより写実的になって、江戸の頃の粋な遊び心が見えてくるに違いない>、と。

寄稿作の冒頭、友田さんにしては辛口の記述にびっくり。<ホント気をつけていないと、囃され、踊らされ、いろいろ買わされてしまう。いつの頃からだろう。日本にこんなにも行事が多くなったのか>。本質、突いてますね。とくに、<買わされてしまう>...売りたい側が口実を欲しているのですから。じつは私は数年前の誕生日あたりに通販でパンツを買ったのですが、そのパンツ屋さん、次の誕生日が近づくと必ずDMで「お客様のお誕生日を記念して、さらに1000ポイントプレゼントします(ここで買わないと、たまったポイントは失効します)」とお知らせをくれて、ついつい買い続けていまして。現行のこどもの日も、母の日も父の日も敬老の日も、まあ、俺のパンツの日と変わらない、と言ったら乱暴過ぎる!?

中国の端午の節句に食べた「ちまき」の話がひときわ印象的でした。あちらではお菓子系から御飯系までバラエティ豊かなようで...日本の団子やお稲荷さんみたいなもの、と想像すればいいのでしょうか。なかでも<角煮と塩卵の黄身が入った蛋黄肉粽>というのが、すごくおいしそう。今年の旧暦端午の節句は6月20日なので、中華街など訪ねてみると、本場モンのちまきが味わえるかも、みたいですよ! みなさま、ぜひぜひ。


 あれから六年。その記憶の鮮やかさは色褪せてはいない。でもいつまでも、というわけにはいかないだろうから、覚えているうちに書き残しておくことにしよう。
 当時の上海は、万博に向けて急ピッチで交通インフラなどの整備や街の美化、再開発が繰り広げられていた。下町風情のある古い町並みは、続々と建つ高層住宅や近代的なビル群の谷間へと追いやられてゆく。それでも人々の暮らしは逞しく、綿々と続いていた。
 近代化を急ぐ経済大国の中国では、もちろん世界共通のグレゴリー暦が使われている。それでも、祝日の多くは伝統的な行事。それらは、太陰太陽暦の「農暦」、日本で言うところの「旧暦」で決められている。「三大伝統祝日」とされている、お正月の「春節」、五節句の「端午節」、名月の「中秋節」は、どれも農暦で決められ、その日は毎年変動する。その中で、一番インパクトが強かったのは「端午節」だった。


ウィッチンケア第6号『中国「端午節」の思い出』(P146〜P149)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/115274087373/6-2015-4-1

cf.
暮らしのリズム」/「ときどき旧暦な暮らし」/「手前味噌にてございます」/「東京リトルマンハッタン」/「走れ、天の邪鬼

2015/05/15

vol.6寄稿者&作品紹介23 辻本力さん

前号には退廃的な音楽の話を寄稿してくださった辻本力さん。今回は「雑聴」の極意を開陳してくれたのですが、いや〜、このテーマなら私も書いてみたい、ってくらい肯くことが多かった。いっそ、全文引用して最後に「私もそのとおりだと思います!」とひとこと...あっ、でもそれじゃいま流行りのバイラルメディア。ですので、辻本さんの極意を引き受けながら、雑感を記します。まずは、辻本さんの雑聴が<iPod のシャッフル機能を使って無作為に再生される音楽を聴く>のではなく<自分なりに多少の理由というか、流れのようなもの>をつくって聴く、という点あたりから。

私の場合はiTunesのシャッフル機能ONで聞いているのが常態(いまも)。ただプレイリスト(スマートプレイリストも)はわりとマメに管理更新していて、この作業が辻本さんの言う<多少の理由というか、流れ>を担っているのかな。いまは日本語の曲NG、とか、聴き込んでいないのだけ聴きたい、とか、もちろん、今晩はジェフ・ベックに溺れたい、とか、使いこなすとiTunesはけっこうお利口さん。でっ、自分が雑聴に身を慣らしたきっかけは「ベストテープの壁」に突き当たったから。...まあ、中学生の頃からそういうのをつくり続けてきたわけですが、社会人になってたまに「大人買い」できるようになったあたりで、ふと「俺のベストテープっていっつも同じ面子」と。いや、そこからたとえば「ツェッペリンはブート含めコンプリートし繰り返し聴き続け発見をし続けて」という生きかたもあるでしょう。専門家への道...辻本さんも本作でそのことに触れていて、その選択をできるかどうかは<かなり生理的な感覚に根ざしている>とご自身を分析...「私もそのとおりだと思います!」。

けっきょく「さらなるベストテープ」を目指すためには聴く音楽の裾野を拡大せねば、という音楽の帝国主義(!?)を推し進める過程でテープはCDへ、さらにHD内からピラミッドをつくりあげるという生活様式の変化も。いまでは好きな音楽の幅も拡がり、ジャンルに関係なく「(音源を手に入れる程度には)好きな曲が流れていればOK」体質になりました。ただ、ジャンルレスにはなれたのですが、それでも「好きじゃない音楽」はやっぱり受けつけなくて...そのへんはどうしてるんですか、といつか辻本さんに伺ってみたいです。好きじゃない音楽だけプレイリストに並べて好きな部分を発見する修行、なんていうものが、残りの人生で必要なのだろうか...。

最近の私のあらたな問題は「音楽疲れ」が始まったかも、という不安。代謝低下、老視、五十肩みたいなもの? じつはここ2,3年、具体的には小誌校了間際なんかの「ひたすら誤植探し」とか、そういう集中作業中はNGな音楽が増えました(なんと、ロックがきつくなってきている!)。紆余曲折の果て、ついに<Fourplay>というスマートプレイリストをつくってしまった自分...それほど思い入れのあるメンバーもいないし、メンバーチェンジも気にならず、どこを切っても金太郎飴のように安定品質...持っているアルバム9枚がシャッフルで延々と流れていて、ときどきサビを口ずさんだり、指でリズム合わせて気分転換とか。スムースジャズとはよく言ったもんですが...<私は元気です>という辻本さんに、ここだけは<私は疲れてます>と反論せねば(泣笑、あっ、でもNow Onはスティーヴ・ヴァイ)。


 もうちょっと絞って聴いてもいいのでは、という話もありましょう。専門性が強みになることだって、重々承知しています。「専門分野のある人」への憧れだってあります。しかし、自分はそっちには行けませんでした。広く浅くの是非についてはこれまでも考えてきましたが、単純な話、魚が続いたら肉が食べたくなるし、肉が続いたら野菜を身体が欲するようなもので、かなり生理的な感覚に根ざしているがゆえに、どうしようもないのです。飽きっぽいだけ言われたらそれまでですが、これはもう資質の問題です。雑誌編集のような仕事が楽しいのも、このへんの感覚と無関係ではないと思っていたりもします。「興味対象の幅が広い」と言い換えれば、その良さが皆無ということもないでしょうし、じっさいのところ、それによってある種の仕事がやりやすくなっている面もあるっちゃあります。

ウィッチンケア第6号「雑聴生活」(P142〜P145)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/115274087373/6-2015-4-1

cf.
酒のツマミとしての音楽考」/「退廃的な、おそらく退廃的な

vol.6寄稿者&作品紹介22 大西寿男さん

小誌今号巻末にある「参加者のプロフィール」で、大西寿男さんは<生まれ育った神戸の街の震災を、20年経って、ようやく表現できました>と記しています。あの日の朝、寝ぼけ眼で見たブラウン管の光景。...その後現地入りしてレポートした筑紫哲也さんが「まるで温泉街にきたようだ」、と発言したのはリアルタイムで見ました。ものすごいバッシングを受けましたが(当時SNSがあったらどうなっていただろう...)、私が記憶するかぎりではたしか杉尾秀哉さんも現地入りして「大好きな神戸がこんなことになって悲しいです」と発言したら「カッコつけたコートの男が他人事のように」みたいなバッシングされていた。小谷真生子さんも叩かれていたような...。

っていうか、つまり在京マスコミが現地入りしてなに言っても全滅、そんな空気だったような記憶があります。しばらくしてからの田中康夫さんのボランティア活動は、好意的に紹介されていたけれど。そんなことを、大西さんの今号への寄稿作を読んで強く思ったのでした。作品内にも、古い友人関係の郁弥と幸太朗が、その日の実体験について言い合う場面が出てきます。<なんでや。おまえはちゃうやん。おらんかったやんか>と言った幸太朗に、郁弥は<それでも親兄姉はこっちやで。生まれ育ったふるさとやもん。たしかにおれは被災者やない。でもな、おれはおれで、第三者でもないねん>と感情を抑え気味に言い返す...。

大西さんはずいぶん悩み、このテーマの小説を書く決心をしたようでした。レポートやエッセイだったら全然違う展開になっていたように思いますが、震災について書くこと=小説として人間関係を細やかに描くこと、とお考えになったのでは、と。でっ、もし大西さんが震災直後、あるいは数年後にこのような作品に挑んでいたらどうだったのかな、とも。...それにしてもあれから20年。1995年というと、年初に阪神大震災があって、3月には地下鉄サリン事件、その年にはWindows 95も発売、みたいなパッケージング語られ化されつつありますが、じゃ、2月は?

日本のプロ野球とマスコミに石もて追われた野茂英雄が2月8日にドジャースと980万円でマイナー契約、13日に会見を開きましたよ。イチローの年間打率は342。...秋には日本でみんなが「NOMO!」とか。マスコミのあの手の平返しは忘れない。...あっ、本作のタイトルに<before>とあるのは、まだ公にされていない<after>と対比させてのこと!? 大西さん、もし完成させたらぜひなんらかのかたちで発表してください!


 ぼくらはひらりひらりと身をひるがえしながら、不敵な気分に酔いしれて、あたかもニューヨークやロンドンのソーホーを歩く足どりで、青山や渋谷、大学に近い池袋あたりを闊歩した。いつしかそこに、大阪から来た二学年下の麻美が加わった。幸太朗は麻美に夢中になった。ぞっこんだったといっていい。対等だった三人の関係のなかで、はからずもぼくは、幸太朗・麻美それぞれからなにくれとなく相談を受ける役になっていった。
 大学卒業後も、ぼくらは依然として東京で、ノーテンキで牧歌的な二〇代を生きていた。時代は昭和から平成へと移り変わっていた。ベルリンの壁は崩れ、ソ連も消滅した。ぼくと麻美は前後してマスコミ業界の片隅にもぐりこみ、幸太朗は中堅の商社で頭角をあらわしていた。バブル経済全盛のころで、ぼくらは一の万能感にとらわれていたのかもしれない。大地震の不安はあったが、それは東日本大震災ではなく、もっと素朴な直下型地震のはずだった。おまけにそれは東京に暮らすぼくらの側の不安であって、ふるさとである神戸はいつまでも安泰であるはずだった。

 
ウィッチンケア第6号「before ──冷麺屋の夜」(P132〜P141)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/115274087373/6-2015-4-1

cf.
『「冬の兵士」の肉声を読む』/「棟梁のこころ──日本で木造住宅を建てる、ということ」/「わたしの考古学 season 1:イノセント・サークル

vol.6寄稿者&作品紹介21 諸星久美さん

諸星久美さんの著書「Snow dome」(スノードーム)を、私は昨年の秋に読みました。8月末に荻窪・6次元さんで<「ウィッチンケア」半開き編集会議>を開いたのですが、その時にご縁ができまして。同作はpresent 1〜3の三部構成。クリスマスの「コーヒーショップ バード」で起こるちょっと不思議なできごとが重層的に語られ、独自の世界を生み出しています。主人公(そして狂言回しでもある)はリカルド・ポール・オルドリッチ・リン・ノヴィツキー=通称リッキーという...おっと、リッキーが何者なのかは、ぜひ本編でお確かめください。

とてもおもしろい作品なのですが、present 3に登場する前川春代さん(五十四歳)は、個人的になかなか感慨深い存在。前川さんはたいへんご苦労されているのですが、読んだ当時の私と同い年なので、いろいろ思うところが...。なんだか「ノルウェイの森」の石田玲子さんの目のシワが強調されていたような印象!? でも、誰が誰をどう見て(見立てて)どう描くか、という意味でも楽しい体験でした。いまの私は小学校2年生と5年生を書き分けられないだろうな。86歳と91歳も無理なような気がする...。

今号掲載作「アンバランス」の主人公・葵さんを、私は「自分勝手だなぁ」と思いました。自分勝手であることの是非はともかく、客観的に眺めると羨ましいくらい奔放で、そこから発生する喜びや哀しみがリアルだな、と。<「私はきっと、この人といる自分を好きになるだろう」>...そうか〜! ってことは、「この人といる自分は好きになれない」場合、でも相手が自分に好意的だったり、なんらかのメリットのある人だったらどうするんだろう? きっと自分から距離を詰めたりはしないだろうけど、でも無碍な扱いもせず...なんていろいろ想像。とにかく葵さんは八方美人系の美人だから、いろいろ抱え込むことになるんだろうな〜。

葵さんが若い<雄吾のワンルームマンションから並んで>桜並木を見下ろすシーン、での会話はひりひりします。葵さんとしては自身の倫理の「最後の一線」を必死に守っているのでしょうが、そもそも、いる場所が...。満開の夜桜が好き、と言った葵さんに雄吾が<「いつか、葵さんと見てみたいな」>と心情を吐露する(つまり、夜桜は一緒に見られない関係)のに、そんな...。でもこんな瞬間だから、葵さんは<「生きている」という実感>を持てたのだろうな、と私は降参しました。


 雄吾との出会いは夏の終わりだった。
 すっと伸びた背筋に好感を持ったことも、幼さの残る顔と、艶のある低い声とのギャップに、胸が淡く疼いたことも覚えている。
 けれど何より、雄吾の隣りに並んだ瞬間に抱いた、「私はきっと、この人といる自分を好きになるだろう」という強い予感に引っぱられるようにして関係は深くなり、あっという間に、雄吾と私という個人は、「私たち」という二人の時間を重ねるようになった。

 その予感は、当たりもしたが、大きく外れもした。
 会いたくて切なく走る心は、いつも、雄吾に触れたとたん安堵のため息に変わり、愛しさの波に急かされるようにして抱き合う時間は、手を伸ばして摑み取るオーガズムの濃度に比例するように私を喜びで潤した。
 心の充足が自愛へと繫がることを、私は雄吾と紡ぐ時間の中で知ったのだ。


ウィッチンケア第6号「アンバランス」(P126〜P131)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/115274087373/6-2015-4-1

vol.6寄稿者&作品紹介20 木村重樹さん

編集者/ライターとしてだけでなく、和光大学総合文化学科で「編集論」の教鞭も執っている木村重樹さん。最近は専門分野の一環(!?)としてBABYMETALや『劇場版BiSキャノンボール2014』なども研究対象とされているようでして...mmm、このあたりは私、You Tubeで断片をチラ見したことしかない(そもそも「えっ!? BiSって『New Transistor Heroes』のbisとは別物なの?」ってレベルなので、すいません)。...それにしても、今回木村さんから〝家出娘たち〟=ランナウェイズについてのご寄稿をいただけるとは、感慨深かったです。

40年前のランナウェイズ、ほんの1、2年ですが有名だったと思います。どのくらいかというと、高校のクラスで誰かが突然「ch-ch-ch-cherry bomb! /ちちちちちちちちちぇり〜ぼんぶ(当時は「ぶ」でOK)」とふざけたら、たぶんほぼ全員、意味がわかったと思う。その浸透度はいまの「ラッスンゴレライ」と比較するとどうなのか...当時、洋楽の影響力はびっくりするほど大きくて、私はランナウェイズのレコード買わなかったけど、O君が持ってたな。家に遊びにいったら、スコーピオンズの「狂熱の蠍団〜ヴァージン・キラー」とUFOの「フォース・イット」もあった。いま「Uptown Funk」聞いてる中高生って、クラスに何人くらいいるんだか。

木村さんも<現役時代はほぼ無関心だったわたくし>と仰っていまして、でも2014年の映画『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の挿入歌として<遅ればせながらその良さに開眼>した、と。おそらく当時の木村先生も私も「本物のロックとはなにか?」なんて生真面目に考えるタイプであったと想像できますので、あのケバさというかキワモノ感というかでっちあげ気味というかインチキっぽさはToo Muchだったんだと思います。むしろ目覚めと安らぎを「私は昇る〜、私は降りる〜」なんて誤訳口ずさみしているような...(意味不明)。

寄稿作内で唯一とも言える音楽的な記述は、<「チチチチチチ……」という吃音(きつおん)じみたサビのフレーズはクローズ・ハイハットの刻みを模倣し、一度聞いたら忘れられない>かな。それ以外はじつに芸能界っぽいお話でして、ホロリとくる逸話も。木村さんは年齢とともにロックのこういう部分も含め、総合的に音楽を研究していらっしゃるのだと思いました。後日SNSで<「女だらけバンドの嚆矢、ランナウェィズ」なんて大雑把な記述でお茶を濁しましたが、70s以前=60sの女性バンドの系譜についてはこちらが詳しい>とさらに深掘りしているし...さすが、学者さんです。


 余談だけど、アメリカで2004年に公開されたドキュメンタリー映画『Edgeplay』(日本未公開)もまたランナウェイズの内紛をテーマにした作品で、キムと元メンバー一同が往年の鬱憤をカメラにぶちまける。ところがジョーンだけはそこに加わらず、彼女が手がけたランナウェイズの曲は一切使用が許されなかった。
 かように元メンバー間の溝は深く、当時の遺恨が晴れるまでにはまだまだ時間がかかりそうだ。が、そうこうしているうちに、サンディ・ウェストが2006年に肺がんで死去。オリジナルメンバーによる再結成の夢はついぞ潰えた。さらに追い打ちをかけるように2015年1月15日にキム・フォーリーの訃報がネットニュースで伝えられた。最晩年の彼の世話をし、その最期を看取ったのがシェリー・カーリーその人だったという「ちょっといい話」もなくはないのだが……。


ウィッチンケア第6号「40年後の〝家出娘たち〟」(P120〜P125)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/115274087373/6-2015-4-1

cf.
私が通り過ぎていった〝お店〟たち」/「更新期の〝オルタナ〟」/『マジカル・プリンテッド・マター 、あるいは、70年代から覗く 「未来のミュージアム」』/『ピーター・ガブリエルの「雑誌みたいなアルバム」4枚:雑感


vol.6寄稿者&作品紹介19 我妻俊樹さん

前号掲載作では「我妻さん、まさか社会派路線!?」という感じでタモガミ氏を退治した我妻俊樹さん。作家として「怪」「奇」「幽」「恐」なんて文字が似合う作品を数々発表していますが、小誌ではずっと、それらの文字の比重が低い(比重からより自由な)作品を発表してくださっています。今回の「イルミネ」は、作品の風合いとしては創刊号への掲載作「雨傘は雨の生徒」に似ている、という印象を持ちました。両作とも内容を「●●が○○して〜」みたいに要約/説明することがむずかしい(というか意味がない!?)コンテンツなのですが、描かれた風景のトーンが、近く感じられたのかも。

今作の主人公の「わたし」は元気なようです。この「わたし」が誰(何!?)なのかは語られていませんが、とにかく冬から春という季節の流れが嫌ではないらしく、<白抜きでトナカイと雪の柄がある>厚手の靴下を履いて外出します。なんだか桜の開花を待ちわびる、ごくふつうの日本人みたいな輩だ、「わたし」。<ひなまつりはとうに過ぎてい>て、<四月、日陰がふとってきた>とありますので、関東ならお花見シーズン...もうちょっと薄手の靴下を、あらたに買っても気持ちよさそうです。<わたしは元気だ。寒さを寒さとして、つらさをつらさとして受け止めかねている。寒いけど、寒くないね! わたしは心でつぶやいた>...負けず嫌いでもあるな、「わたし」。

我妻さんとは3月の終わり、かとうちあきさんが開いた「お店のようなもの」にご一緒しました(靴下にトナカイはいなかったと思う...)。「ウィッチンケア第6号試読会のようなもの」のためだったのですが、近くの横浜橋商店街で一緒に惣菜を選んだり...楽しかったな。微妙に曇りの日だったのですが、ブルーライン「阪東橋駅」で降りると雨がぱらぱら落ちてきまして、傘持ってくればよかったと後悔している私に、ちゃんと傘を持ってきていた我妻さんはさり気なく差し掛けてくれました。紡ぎ出す作品はおっかないのに、なんて心優しいかたなのでしょうか!

そんな我妻さんの現時点での最新著書は、今年2月末に発行された「FKB怪幽録 奇々耳草紙」 (竹書房文庫)。紹介文には<独自の怪談を紡ぎ続ける我妻俊樹の新シリーズ第一弾。夜中に突然泊まりにきた友人の不可解な話と衝撃の事実「イキシチニヒ」、バイト先のコンビニによく来る美人女性、ある夜道端で会ったら汚れた花瓶を渡そうとしてくる…「花瓶」〜後略〜>とあり、67編が収録されています。みなさま、ぜひご一読ください。



 外はけっこう冷え込んでいるけれど、わたしは元気だ。寒さを寒さとして、つらさをつらさとして受け止めかねている。寒いけど、寒くないね! わたしは心でつぶやいた。からだは震えていた。薄着だったのだ。でもわたしの心はひろがって、すれ違う人がみんなわたしの心を通り抜ける。わたしの心の声を聞き、びくっと耳をかたむける者もいた。おしゃべりなくらいだ。犬を連れている爺さんだって、さっそうと中を通り過ぎていった。柴犬だ。わたしはポストの前に立つ。かばんのポケットを探ると、葉書が二枚出てくる。ずっと出しそびれていた年賀状の返信。出してしまった年賀状のことを、わたしは時々思い出す。わたしは郵便物になりたいし、郵便制度を最初から最後まで、内側から眺めてみたい。それは小説の登場人物になりたいことに似た欲望だ。封書は目かくしされている。だから葉書がいい。年賀状以外の葉書は、もう何十年も出していない気がする。

ウィッチンケア第6号「イルミネ」(P116〜P119)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/115274087373/6-2015-4-1

cf.
雨傘は雨の生徒」/「腐葉土の底」/「たたずんだり」/「裸足の愛」/「インテリ絶体絶命

2015/05/14

vol.6寄稿者&作品紹介18 井上健一郎さん

5月25日に国書刊行会より著書『吉祥寺「ハモニカ横丁」物語』が発行される井上健一郎さん。井上さんの今号寄稿作はタイトルにその名称はありませんが、もちろん「ハモニカ横丁」が大きく取り上げられています。吉祥寺がどんどんお洒落な街になり、一時期は駅前の怪しい一帯になっていましたが、いまではすっかり名所のように。その理由を<路地>、そして<都市の余白>という観点で多角的に解説...といっても全然堅苦しいものではなく、市井の観察者目線でわかりやすく魅力を伝えてくださいました。

井上さんの考察は、私個人にとっても目から鱗ポロポロでした。とくにチェーン店系居酒屋と、路地裏にありそうな個人経営の居酒屋を、丁寧に役割分担しているくだりなどは、なるほどそういう風な棲み分けになっているのか、と。<大人数でどこかの飲食店を探している時に、路地に入るひとはあまりいないだろう>...なるほど、そうかもなぁ。<路地裏にある店は個人経営の個性的な店が多いので、居合わせたすべての人たちの好みと合わない可能性もある>...なるほど、そうだよなぁ。そして、続く<予備知識なしに個人経営の店に入ると、多少感情の浮き沈みがある>という一節...そうそう、そうなんですよ、なるほど! この<多少感情の浮き沈み>といかに上手につきあうかが、のっぺり(感情が浮き沈まないように!?)と開発された都市における、路地の楽しみかたの秘訣なのだ、と。

作品後半では「ハモニカ横丁」に限らず、広く一般に<路地という掴みどころのない空間>の特性と存在意義についても語られています。私の世代(born in 1959)だと同じような機能はたとえば子どもの頃の空き地、公園、校舎の屋上などにもあったような思い出がありますが...いま土管の積まれた空き地ないし、このまえ通りかかった都心の公園は入場規制してたし、校舎の屋上も鍵かかってそうだし〜。一時は駅前空き地(低層の建物はあったが...)みたいになっていたハモニカ横丁が、都市で寄る辺なくなった人々の新たなコミュニケーションスペースとして再興...そう考えるとおもしろいです。

個人的には、むかしからあのへんをうろうろするのが好きでした。いまは用事がなければいかない街になってしまいましたが、思い出はけっこうありまして。最近は横丁内にもお洒落な店が増えちゃって、じつは気圧されちゃって、新しいお店にはあまり寄ったことがないです。たまに通りがかると、佐藤慶が愛した珍来亭でしょっぱいラーメン食べて、「なぎさや」でさらにとびきりしょっぱい塩鮭買って帰ってきたり。今度勇気出して、知らない店にも飛び込んでみます〜。



 これら、路地という掴みどころのない空間はどのように定義できるのだろうか。私なりの路地のイメージはこのようなものになる。
 都市という限られた空間に、道路や建物をパズルのように敷き詰めていく。その時どうしてもパズルは合わない。隅っこで余白が出てきてしまう。これが路地ではないかと思う。計画性の欠如から開発の過程で意図せず生まれてしまった空間である。
 ハモニカ横丁は、元をたどれば終戦直後に駅前に自然発生的に広がったヤミ市の生き残りである。生きるか死ぬかの時代に人間が自然と生み出した空間だ。そこに計画性などはなかった。
 幹線道路や建築物は、人間が計画的にそして能動的に造ったものであるため、生まれながらに機能や意味を与えられる。路地はそういった建設の過程で、意図せずに生まれてしまう副産物である。確たる目的があって造られたものではないから、機能や意味は与えられず、発生する。


ウィッチンケア第6号「路地という都市の余白」(P112〜P115)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/115274087373/6-2015-4-1

2015/05/13

vol.6寄稿者&作品紹介17 藤森陽子さん

前号掲載作では実兄の人生を通じてポジティヴな指針を示した藤森陽子さんですが、今号掲載作では自身の「エッジな部分」を見つめ直すような、自省っぽい作品を寄稿してくださいました。いつも忙しく国内外を飛び回り、誰もが素敵! と思える媒体に記事を書きまくっている藤森さんがこんな悪夢に苛まされていたとは...いや、作品冒頭に描かれる「ピアノの日」のことなのですが。<もともと気が小さいせいか、子どもの頃から心配ごとがすぐさま夢に現れる性分だった>...たしかに、夢は現実(と自分が認識している事象)そのものを精緻に反復はしませんが、○○は●●の前兆、みたいなイレギュラーな因果関係はあるよなあ、と。そしてこれは「夢」という語彙の乱用かもですが、夢見たこともないことはほんとに夢では見られない!?

社会人になるまで見たという「ピアノの日」の夢。3歳から通ったピアノ教室が好きになれず、でもそのことを親に言えず中学3年まで続けていたので、コンディションが悪いと「あれ、今日はピアノ教室だっけ?」と夢に出る。それが社会人になると新ヴァージョンに...じつはこれ、私もいまだに、とても似た夢を数年に一度は見て嫌な朝を迎えています。ものすごく具体的で笑っちゃうんですが、決まって「あれ、俺、仏Ⅰの単位取れたんだっけ?」。細かい事情を説明したっておもしろくもなんともありませぬが、基本、これが原因で自分が学歴詐称に悩んだり、大学に通い直してそれも続かずへこんだり、みたいな夢。いや私、さすがにいまは「仏Ⅰの単位」よりもっと大きな苦悩も抱えていますが、しかし、夢の設定としては、いまだにこれ。あっ、藤森さんの話でした(失礼!)。

成長しない私と違い、藤森さんの夢はきちんとヴァージョンアップされているようでして、ピアノから▲▲、そして△△へと...。しかし、この悪夢に纏わる話はぬきにしても、今作には藤森さんの素顔がちらりと覗くような箇所が多く、読んでいて他人事ではありません。とくにライターとしてのスキルについて触れたくだりなど。<雑誌の記事を書いていて最も手間がかかるのは、実は短い文章だったりする。/ある意味200字の文章より、2000字のコラムを1本書く方がずっとたやすい>...200字での起承転結のつけかたや〝書き分け〟スキルで悩む様子は、また悪夢を見ませんように、とお声がけしたくなります。

たぶん同じような媒体でかつて同種の記事(しかも私の場合はタイアップ広告)を書いた経験があり、あれは超絶キツかったな、と。某酒造メーカーが新製品を納入するためのツールとしてその媒体に「■■が飲めるおいしいお店70」みたいな買い取り枠を...その70店をページに均等配分すると1枠のいわゆる「見出しと本文」が1L&150W程度で、まさかシェフおすすめの〜/旬の素材を〜/●●直送〜ばっかりで70枠埋めるわけにはいかず...すいません、また自分話でしたが、藤森さんの苦悩は私よりはるかにハイレベル&晦冥から光明への転換も含蓄に富んだもの、ですので、ぜひ本編でお楽しみください!



 以前、知り合いの編集者が、こんな秀逸なことを言っていた。
「短い文章は極上の〝ツメ〟を作るようなもの。煮詰めて煮詰めて、ツヤととろみのある濃厚なタレに仕上げるのです」
 なるほど。短い文章、それは穴子のツメなのか。
 丁寧に丁寧に火を入れ、純度を上げ、磨いて行く作業は確かに似ている。文章をただザツに削っただけでは焦げ付くばかりで、文全体にツヤも一体感も生まれない。
 しかし、深夜、キーボードを叩きながらふと思う。
 これだけ紙媒体が斜陽の一途をたどり、字詰めがあって無いようなウェブサイトの緩やかさを見ていると、一文字削るのに何時間も費やすような作業に、今やどれほどの価値があるのだろうと。
 うなされるほどのしんどい思いに、何の意味があるのかと。


ウィッチンケア第6号「バクが夢みた。」(P106〜P111)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/115274087373/6-2015-4-1

cf.
茶道楽の日々」/「接客芸が見たいんです。」/「4つあったら。」/「観察者は何を思う」/「欲望という名のあれやこれや

vol.6寄稿者&作品紹介16 久保憲司さん

前号にはスウィートな恋愛小説を寄稿してくださった久保憲司さん。今号掲載作「スキゾマニア」は一転、花登筺もたじたじな関西を舞台にした家族の群像劇...といっても銭や商人の話(←それも出てくるんですが)ではなく、世界が変わってしまったことに対して、どこか突き放した視点ながらも寄り添い、受け入れていく物語。ヘヴィな事柄を軽やかに語っていく文体は、ちょっと久保さんにしか書けない感じ。フォトグラファーとして、ロックの「とんでもない人」を「美しい一瞬(=写真)」に変換してしまう、そのマジックに共通するような。

主人公の「俺」は精神を病んでしまった父親の看病のため、東京生活に区切りをつけ実家のある京都で暮らし始めます。私は関西に土地勘がないのでよくわかりませんが、きっと大阪に近い京都の、どこかの町なのだと。実家のあるのが川崎市のどこか、<街のど真ん中>にあると描かれている父親が入院中の施設は御茶ノ水とか池袋あたりとか、そんな距離感なのかな、と。この地域は「俺」ファミリーの生活の拠点で、親戚なども暮らし続けていて、ひさしぶりに実家に戻った「俺」とその人たちとの交流も復活するのですが、そのあたりの描写が、これまでの久保さんの寄稿作(在東京の主人公)とはずいぶん違って血縁に縛られているっぽい。あっ、でもドロドロした感じのエピソードも血液サラサラ風に流れていくので、不思議なんですが!

ひときわ印象的な登場人物が「悪い親戚」と表現されている男です。<僕のいなくなった母親のお父さんの従兄弟>だそうで血は繋がっていないとのこと。なんか私もむかしは親戚の集まりなどあると「この人と繋がりがあると言われてもファミリーツリー意外の接点をどう見つければいいのか?」みたいな人と同席になり固まっていたりしましたがそんな時でも先方は「親戚だから」という理由でけっこう距離詰めてきたりして...ってなに思い出してるんだ!? とにかく「俺」はこの「悪い親戚」が<LSDを飲ませ、預金通帳を全部持ち出し、お金を引き出したのだろうか? いや、たぶん、父親はあの親戚の甘い口車に乗って、投資でもさせられ、全額巻き上げられ、そのショックで気が狂ったのかも>と想像し、<……親父、お金のことで気が狂うなんて悲しすぎるぜ>との思いに駆られるのです。

作品内の「俺」は父親や親戚との関係だけでなく、ほんとうに<世界>...つまりこの世の中が変わった、という思いも持っています。新幹線ができて、さらに新幹線の速度が増したから世界は変わってしまったのかもしれない...飛行機についても<本当に人間は800キロのスピードに耐えることが出来るのだろうか>と。「俺」は20年前に日本とイギリスを往復しすぎ、その時すでに<「もう一つの世界」へと移動していたのかもしれない>と。父親の発病は世界が変わったことに気づく「きっかけ」なのかも、と。虚実綯い交ぜの物語はどこに辿り着くのか、ぜひ本編を手にしてお楽しみください!



 会わずに帰ることにした。半日以上も気の狂った父親に付き添ってくれたおばちゃんに「すいません、すいません」と何度も謝り、ついでに「どうだったんですか」と経緯を聞いてみた。助けて、と叫びながら父親は交番に駆け込んだそうで、ますますLSDでも飲まされたのかなと思えてきた。
 父親の家に行ってみた。部屋がゴミ屋敷のようになっていた。気のふれた人が書くような、わけの分からない、読むだけでこちらも病気になりそうな文章のチラシが、いたるところに散らばっていた。
 父親の日記もあって、狂っていくまでの様子が記録されていた。どうも一週間前くらいからおかしくなっていったようだ。なぜか岡本太郎について克明に描かれていたり、難しい漢字を異常にたくさん書いていたり……それは喪失していく自分を一生懸命取り戻そうとしているかのようだった。筒井康隆の小説に「残像に口紅を」というだんだんと文字がなくなっていく話があって、最後に「あ」と書いて主人公が消え去るのだが、まさにそんな感じだった。父は岡本太郎と書いて、この地上から消えていったような気がした。なぜ岡本太郎だったのだろう。
 僕は「気が狂う」というのは一瞬にして起こることなのかなと思っていたが、そうではなく「だんだんと狂っていく」ものなんだと分かった。父親の気が狂った部屋で僕は寝た。


ウィッチンケア第6号「スキゾマニア」(P098〜P105)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/115274087373/6-2015-4-1

cf.
僕と川崎さん」/「川崎さんとカムジャタン」/「デモごっこ

Vol.14 Coming! 20240401

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