2015/05/12

vol.6寄稿者&作品紹介13 東間嶺さん

前号では《ことば》に関するエッセイを寄稿してくださった東間嶺さん。私は同作品内でも言及されていた<書き終えられた二万七千字弱の小説=「≠ ストーリーズ」>の読後感が忘れられず、今号では小説でのご寄稿をお願いしてみました。その東間さん、そしてやはり今号の寄稿者・荒木優太さんとは4月の終わりに会食する機会がありまして、いやあ、東間さんが連れていってくれた「延辺風味 千里香」はおいしかった。羊肉などももちろん美味でしたが、なんてことない「きゅうりニンニク和え」にハマリまして、勝手にお代わりを(失礼!)。

東間さんは料理もしっかりつくる人で、SNSにアップされる写真も美しいです。美大出身っぽいというか、五感が優れているというか...舌鋒も鋭いが、とにかく「この人が五感で受け取っている情報量と私のそれとではずいぶん差があるだろうな」と思わされます。そんな東間さんが今号寄稿作「ウィー・アー・ピーピング」では、敢えてのっぺりした世界/カメラ目線(というか自身がカメラになったような)世界...いや、私は疎い分野なんですがかつてセカイカメラとか拡張現実とかの概念を説明された頃になんとなくわかった気がした「そういう世界のようなもの」を2015年の現実に即したトピックで描いているように思えまして刺激的でした。「千里香」や東間さんの料理と吉野家の牛丼は対向せずただ別のタグで併存している世界!?

作品冒頭に登場する、真冬の渋谷で夜の二〇時過ぎに<歌っている女>。主人公の「わたし」の属性はあまり語られていませんが(カメラが手放せない人間であることはわかる)、世の中に対して<ありえないだろ!>という内容の曲を歌っている人間の描写が<女の顔の筋肉だけが、音とか言葉とか全く無縁のところで、ぐにゃぐにゃと動き続けている>とか。カメラを向けてシャッターを切る程度には興味が湧いたんですから、もうちょっと...いや、女に興味が湧いたのではないのかもしれない。すぐそのあとには<よくある痛い渋谷の風景>とあるから、「わたし」の興味は<痛い渋谷の風景>か?

作品内で1ページ以上を割いて紹介されている、ミロスラフ・ティッシー。私は寄稿作を読んでその存在を知りました。<ティッシーの〈神話〉を記述するテクストは、それをディオゲネス的実践と伝える>と「わたし」は解説し、自分は<ティッシーの影を追っている>人間だと。他の箇所には<そうだ。わたし/たちは、『ティッシー』だ>と、Weにもなってる。IとWeとミロスラフ・ティッシーの関係性は、ぜひ本編でお確かめください。


  湯気の立つ牛丼を少しのあいだ眺めたあと、男はおもむろに鞄からミラーレスタイプの小さなデジタルカメラを取り出し、正面から自分が収まる位置に据えた。そして、なんともわざとらしい(さあ、牛丼を食べるぞ、みたいな)振る舞いをしながら、食べ始めた。
 わたしはスマートフォンを取り出し、Twitter を起動させると、新宿、吉野家のハッシュタグをざっと眺める。予想通りに、男のものと思しきアカウントを発見する。
 男は、小規模な映像制作会社の契約社員であると同時に、わたしと同じような〈アーティスト〉で、最近は牛丼を食べる〈パフォーマンス〉をしている、とのことだった。生憎、わたしは男のことをぜんぜん知らなかったのだけど、目の前で、〈演技〉として牛丼を食べているその顔はひどく憂鬱そうで、痛々しいほど前向き風に装飾されたツイートの印象とは、大きな隔たりがあった。


ウィッチンケア第6号「ウィー・アー・ピーピング」(P080〜P085)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/115274087373/6-2015-4-1

cf.
《辺境》の記憶

Vol.9 Coming! 20180401

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