2015/05/19

vol.6寄稿者&作品紹介26 荒木優太さん

在野研究者の荒木優太さんは2013年に単著「小林多喜二と埴谷雄高」を発行。En-Sophでの連載「在野研究のススメ」はvol.01:小阪修平に始まり、最新のvol.20 : 小室直樹まで不定期に続いています。同連載を始めるにあたり、荒木さんは「在野研究のススメvol.00 : 大学の外でガクモンする?」という一文を寄せており、そこで<そもそも在野研究とは何なのか。例えば、在野研究者がアカデミシャンとは異なるとしても、では評論家とは違うのか。作家とは違うのか。活動家とは違うのか>について、4つの条件を挙げて自分なりに定義しています。同文には<トライ&エラーこそが在野>という一節もあり、このあたりは小誌今号寄稿作にも共通する荒木さんの〝姿勢〟が垣間見えるような...。

「人間の屑、テクストの屑」と題された寄稿作はエリック・ホッファーを話の枕に、吉本隆明の小林多喜二「党生活者」への批判に対する論考、そして寺田寅彦へと...やべぇ敷居高(俺「党生活者」どころか「蟹工船」も読んだことないし!)、 状態で読み始めましたが、荒木さんがわかりやすくまとめてくださっているので浅学なりにでも入っていけまして、それによりますと、どうやら吉本さんは「党生活者」に登場する「伊藤」という女性を<まつたく人間の屑としかいいようがない>と批判しているのですが伊藤女史の為人はともかく、荒木さんは<『党生活者』が少なくとも「屑」を一つの隠れ主題にしたテクストであることには同意できる>として、そこからタイトルにある「テクスト」や「屑」に対する考察を拡げていきます。

作内ではもうひとつ、「スクラップ・ブック」という言葉が重要な要素として取り扱われています。引用内にある<スクラップ・ブックという書物の形態は、単なる編集可能性だけでなく、公的な出版物を一旦「屑」状にして私的な形で保存し、様々な知や経験へのアクセスを維持しようとするテクストの生存戦略として読み直すことができる>という箇所で揃い踏みしていますが、寄稿作全体の要旨も、ここに表されているような気も。そしてここでいう<テクストの生存戦略>という捉えかたの〝姿勢〟が、冒頭に紹介した「在野研究のススメ」はvol.01内の<トライ&エラーこそが在野>と、二重写しにも読めるような。

研究分野の専門家以外でも、荒木さんの様々なテクストが広く読まれていけば、と願います。今号への寄稿作はご自身のフィールドの直球ど真ん中剛速球(...みたいなたとえかたをするたびに「いったい自分ってどれくらい野球が普通だった時代に育ったのか/梶原一騎の影響から一生抜けられないのか」みたいに悩む...)ですが、SNSなどでは<故人を取り扱う>だけでなくリアルタイムの事象にも(それも、なぜその話題に反応しますか!? みたいなことにも)活発に発言している荒木さんでして、そちらの茶目っ気もチャーミングなので〜。


<前略>このように考えてみたとき、スクラップ・ブックという書物の形態は、単なる編集可能性だけでなく、公的な出版物を一旦「屑」状にして私的な形で保存し、様々な知や経験へのアクセスを維持しようとするテクストの生存戦略として読み直すことができる。
 スクラップ・ブックとは〈すべて〉が禁じられた書物である。並べられたスクラップのひとつひとつが、しばしば出典情報をなくした元のメディアのかたちを暗示する。そして、失われたメディアの想像的な全体像を夢見させ、読むたびごとに、ひとつのブックに複数の亀裂を生じさせる。それはいくつもの夢の残滓の結晶体であると同時に、失われたいくつもの夢の忘れ形見でもある。
 おそらくは、屑でなければ、〈すべて〉を打ち捨てなければ、生き残らないテクストがある。逆にいえば、屑だからこそ生き延びられるテクストがある。屑のテクストは、他の屑と連帯して本来備わっていた作者の意図やメディアの文脈を微妙に交代させつつ、別の仕方での転生を果たす。それに比べて〈すべて〉の書物は、巻数や章節や頁数によって屑を目次の一部分として飲み込んでしまう。そして、いくつもの夢が〈すべて〉に収奪されたとき、墓石としての書物が、つまりは生き延びることをやめた死物としての書物が完成する。完成、それは〈すべて〉の別言である。
<後略>

ウィッチンケア第6号「人間の屑、テクストの屑」(P154〜P159)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/115274087373/6-2015-4-1

Vol.8 Coming! 20170401

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