2016/05/16

vol.7寄稿者&作品紹介16 多田洋一(発行人)

多田洋一(発行人)の今号掲載作に登場した「けいちゃん」。主人公にとって好きでも嫌いでもない女性との関わりで話を展開させたいと思ったら、結果として「ちゃん」付け人名でした。あっ、「好きでも嫌いでもない」は「どうでもいい」とは違うかな...いまもう少し詳しく説明しようと考えてみると「恋愛感情に至ることはないが通常なら〝嫌い〟で斬り捨てる諸々も勝手に推し量ってしまう」という、そんな人、あなたの周囲にも「ともだち括り」にしていません? って、なんで呼びかけ調なんでしょう、今年の私。

私の書くものについては、昨年の紹介文で三浦恵美子さんが分析してくれました。今作も書き手が「意識を改めた」みたいなことはなく、ほんと、ぜひ三浦さんのものを読んでくださればと思います。そして実生活では、私は女性を呼ぶときはほぼ「苗字+さん」。同じ場に複数同性の人がいたら「名前+さん」だけど、別の場では「苗字+さん」に戻すし。まれに渾名が「○○ちゃん」な人に会うと、しばらくは「○○ちゃんさん」でテストラン、頃合いを見計らって「○○ちゃん」に移行できたら、そうなる。

苗字呼び捨ては...女性にそれしたら嫌いの意思表示? 名前呼び捨て...ほぼ憧れですな(妹と「苗字/名前の呼び捨て=渾名化している」は例外)。ついでに「パートナー関係にある人」と同席して誰かががそのどちらかを「自分との関係」で呼ぶと、妙に居心地が悪いなー。誰かの妻を夫の前で旧姓で呼ぶとか(スルーしてますが)。似てるのが錦織選手のニュースで松岡が出てきて「圭は」を連発すると「圭と呼べる立場のオレ」ってことかよ、と。

今回当紹介文タイトルに「(発行人)」と添えたのは、なんかいろんな方とのやりとりで、さすがに寄稿者ではないが、それ以外では最近でも少なくなく「えっ? 多田さんも書いているんですか」と。とくに「豪華執筆陣!」的な褒め方してくれる人から「も書いているんですか」と(見本誌事前に送ってても!)。もちろん私はにこやかに「はい、発行人ですが私も書いているんですよ」とスルーして答えています(心中は「〝も〟じぇねぇよ」)。ですので...読んでからお会いしましょうね、「午後四時の過ごしかた」。



 身も蓋もなく言えばそこには老けたけいちゃんがいて烏龍茶を飲んでいた。目の前にいる御婦人を見て、僕が数年前に会ったのはいまより若い女であるところのけいちゃんであったと実感したのだった。まあ同じ年数が経過したのだからけいちゃんもこちらと同質の印象を持ったことだろう、しかしなぜ晦日の夜に木田と二人でいる? 僕は不意に笑いが込み上げ止まらなくなった。けいちゃんのボブ。けいちゃんの恰幅。けいちゃんの携帯ストラップの四つ葉のクローバー。それらはもちろんなんか歪でなんともおかしかったが、なにより木田も僕もけいちゃんももうすぐそこにある新しい世紀をしぶとく生き存えていくことになるんだということ、それがおかしくてたまらなかった。
 最初はなにかのはずみで木田と付き合い始めたんじゃないかと勘ぐっていたが、酔いが回る前にはそうではないと確信した。まだ嫁に行けてないけいちゃんは相も変わらず堅牢な「私」について語り続けた。世界や他者と自分との関係性は微塵も揺らいでいなかった。

ウィッチンケア第7号「午後四時の過ごしかた」(P098〜P103)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/143628554368/witchenkare-vol7

多田洋一(発行人)小誌バックナンバー掲載作
チャイムは誰が」(第1号)/「まぶちさん」(第2号)/「きれいごとで語るのは」(第3号)/「危険な水面」(第4号)/「萌とピリオド」(第5号)/「幻アルバム」(第6号)
http://amzn.to/1BeVT7Y

Vol.8 Coming! 20170401

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