2016/05/21

vol.7寄稿者&作品紹介24 東間嶺さん

東間さんの前号掲載作(ウィー・アー・ピーピング)について、私は<五感が優れているというか...舌鋒も鋭いが、とにかく「この人が五感で受け取っている情報量と私のそれとではずいぶん差があるだろうな」と思わされます>と書きましたが、うむ、やはり今号への寄稿作でも、そんな東間さんのメーターは大きく振れています(アラート鳴ってそう)。

前作の主人公(わたし)は、目に映る光景をまるで自身がカメラであるかのように描写し、静かな不気味さを醸し出していました。しかし、今作の「わたし」はもうちょっと熱いです。というか、前作同様やはり黙ってスマホいじったりしているだけなんですが、鬱屈したものが滲み出しちゃってる感じが描かれています。女の子の死に感傷的になっているのではなくて、弾きがねを引かれた状態。そしてそれは私憤ではあるのですが、作品内に配された自殺者のデータ(数字)、あるいは「わたし」がチャレンジするコンペの募集要項の嫌味さとも呼応して、読者にも鈍く効いてくるのか、と。

もし過日の蓮實重彦さん記者会見に東間さんが出席していたらどう切り返してたんだろう、などと想像してしまいますが、そんな(どんな?)東間さんが書く小説は、知性と感情が熟成されているようで、私は好きです。もう少し長尺にできたら、時間軸の溝も埋められて...いや、鋭利な断片で構成されてるからこその風合いなのかな、本作は。

そして、東間さんが編集管理人を務める独立系WEB批評空間『 エン-ソフ』には、荒木優太さんの小誌今号掲載作の評論(東間さん作品含む)と、ご自身による自作考察も掲載されていますので、こちらもぜひご一読のほどを!



 もちろん、死んでいた彼女は天使でも橋本環奈でもなかった。単に、五月のわたしの目にはそう見えた、というだけの話だった。
 彼女の死は、メディアが流す通り一遍の速報やまとめサイトなどへの画像流出とは別に、年がら年中この国で起きる鉄道への飛び込み自殺を、ほとんど偏執的な熱意でまとめ続けているとあるデータベースサイト(※)に、すぐ登録された。
 【事故概要(確報)】には、2015年05月02日11時26分、死傷/十代女(死)、原因/自殺(輸送障害)、JR山手線/高田馬場駅、ホーム中ほどから飛込む、とあった。
     *
 東西線で茅場町に向かいながら、わたしは、明け方まで書いていた作品用ステイトメントをiPhone上で読みなおしている。ギャラリーへ、プレゼン用資料として提出する締め切りは、数日後に迫っていた。

※参照《回答する記者団 鉄道人身事故マップ》
http://kishadan.com/map/railway-human-accidents/
(原文では文末付記)

ウィッチンケア第7号「死んでいないわたしは(が)今日も他人」(P144〜P148)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/143628554368/witchenkare-vol7
東間嶺さん小誌バックナンバー掲載作
《辺境》の記憶」(第5号)/「ウィー・アー・ピーピング」(第6号)
http://amzn.to/1BeVT7Y

Vol.14 Coming! 20240401

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