2017/06/01

ウィッチンケア第8号のまとめ



ウィッチンケア第8号(Witchenkare vol.8)


★寄稿者32名の書き下ろし作品を掲載した文芸創作誌

発行日:2017年4月1日
出版者(not社):yoichijerry(よいちじぇりー)
A5判:204ページ/定価 1,000円(+税)
ISBN: 978-4-86538-060-6 C0095 ¥1000E

【公式SNS】

※下記URLにて小誌の内容がノベライズ形式のダイジェストで読めます。

CONTENTS
002……目次
200……参加者のプロフィール


編集/発行:多田洋一
アートディレクション:吉永昌生
校正/組版:大西寿男
写真:徳吉久

※小誌は全国の主要書店でお取り扱い可能/お買い求めいただけます(見つからない場合は上記ISBNナンバーでお問い合わせください)。
★【書店関係の皆様へ】ウィッチンケアは(株)JRCを介して全国の書店で取り扱い可能。最新号だけでなくBNも下記URLで注文できます。

※BNも含めamazonでも発売中!

2017/05/31

目眩く未来はほんと?(第8号編集後記)

5月いっぱいかけてウィッチンケア第8号32篇の掲載作品を紹介しました。今年は1月にタバブックスさんとの<ウィッチンケア文庫>創刊。2月は長谷川町蔵さん、久保憲司さんとのイベントなど。3月は今号の編集/印刷/配本作業。そして4月の正式発行。なんだか2010年春に創刊号を出してからずいぶん遠くまできちゃったような気もして思わず「あのころの未来に〜♪」とか口ずさみそうですが...「夜空ノムコウ」って広瀬すずさんが生まれるまえのヒット曲...そしてそのSMAPの騒動も、年改まるまえのことか。

紹介文一覧は、明日<まとめ>として当ブログにアップします。3/30日付けの<さわり(ノベライズ・ウィッチンケア第8号)>とともに、ぜひ読んでみてください。もちろん私の駄文ではなく、作品の引用部分を。そして興味を抱いた作品はぜひぜひ本篇にてお楽しみください。また小誌過去掲載作10篇は《note版ウィッチンケア文庫》でも無料公開中。こちらも、ぜひ×3。

あまりスタイルを変えずに<紙の誌をつくること&ブログを書くこと>を続けています。それは最大限自分贔屓目に言えば「ぶれてない」...でも突っ放して言えば「おまえ(発行人)それしかできんのか」なわけで。...どこまでいっても、試行錯誤。

《note版〜》へのアクセスは開始1年で総発行部数を越えました。某巨大ネット書店さまからは小誌にまで「ダイレクトな取引しませんか?」とDMがきます。その他にも「あのころ」には思ってもみなかった「未来」と直面して、表紙に載ってる「目眩く(めくるめく)」でもあるが「目眩」もしたり...それでも私は、けっこうdystopiaではなくutopia志向です。「全てが思うほど〜♪」ってこともあるけど、それも含めて「明日が待ってる〜♪」だと(グループは解散しても作品は現在進行形)。

今後ともウィッチンケアをどうぞよろしくお願い致します。最新の第8号には、↓の32名の寄稿作が掲載されています!


2017/05/30

vol.8寄稿者&作品紹介32 仲俣暁生さん

つい先日SNSの「友達」とポップ文学の話題になり、1990年代前半〜中頃、一部書店でその範疇に括られていたのが村上龍、村上春樹、高橋源一郎、山田詠美、吉本ばなな等だったことを思い出しました。いまの視点だと〝一部書店でその範疇に括られていた〟どころじゃなく、本屋さんの文芸書のど真ん中だ、と感じながら最近あまり聞かない<ポップ文学>という言葉、それに関連して、1990年代中頃以降に聞いた<J文学>という言葉について調べていたら...突き当たったのは仲俣暁生さんの「文学:ポスト・ムラカミの日本文学 カルチャー・スタディーズ」という本でした。さっそく入手しましたが、発行は奇しくもちょうど15年前(2002年5月31日)!! 私がぼんやり把握していた系譜や流れが、ほぼリアルタイムで丁寧に解析されており、目から鱗が束になって飛散...同時に、「極西文学論―West way to the world」(2004年)に続く仲俣さんの文芸評論を、ぜひ読んでみたくなりました。

仲俣さんの今号への寄稿作は、ご自身が少年時代に出会った本について、いまの視点で回想したエッセイ...というより「随筆」と表現したほうが似合いそうな風合い(美しい佇まい)の一篇です。図書館や学童保育で読んだ『義経記』、<みなもと太郎の『レ・ミゼラブル』>(潮出版社の「希望の友」に掲載)の思い出は、当時のときめきが伝わってくるよう。マンガ雑誌は<近所の子ども>や床屋を介して読んでいた、とのことで...私は、少年マガジンだけは親に買ってもらってたかな。「巨人の星」が読みたかったはずなんだけど、すぐに「あしたのジョー」が始まってそっちに夢中になったかも(後年、自分内の梶原一騎濃度の高さに愕然)。

作中に登場する<K子おば>さまを羨ましく感じました。小誌第5号への寄稿作「ダイアリーとライブラリーのあいだに」にも登場した、社会科の教諭をなさっていたかた。<K子おば>さまのように素敵な本を奨めてくれる存在、私にはいなくて、むしろ、親がある日、家にセールスにきた「子ども世界文学全集」(TBSブリタニカ?)みたいな何十冊かの本をど〜んと買っちゃって部屋に並べられて、それが負担(読みたくない)で、ぽつぽつと「自らが読む本」を独力で探していた記憶なんかも甦ってしまいました。

作品の後半は、40年ぶりに読み返した『とぶ船』について。<ヒルダ・ルイスが書いた数少ない子ども向け作品><彼女がすすめてくれた本で、とりわけ好きだった>(※彼女、とは<K子おば>さま)と紹介されています。すっかり内容を忘れてしまっていた仲俣さんが、再読して気がついたこととは? 物語の懐深い解釈とともに、同書には<K子おば>さまとの思い出が色濃く重なっている様子が伝わってきました。詳しくはぜひ小誌を手にとって、ご一読ください!



 両親とも教員だったせいで、マンガ雑誌を買うことは禁じられていた(そもそも近所に本屋がないのだから、買いたいとも思わなかった)。マガジンとサンデーは、近所の子どもに回覧してもらって読んだ。ジャンプは床屋で読んだ。あとは暗くなるまで外で遊び(野球、石蹴り、ザリガニ釣り)、家に戻ったらご飯を食べて寝る。そんな毎日だった。家で「読書」をした記憶はまったくない。いちばんの「愛読書」はH・A・レイの『星座を見つけよう』。これを片手に夜になると外に出かけ、たっぷりとあった空き地の草むらに寝転んで、夜空の星座をみるのが好きだった。物語は本の中ではなく、天上にあった。

ウィッチンケア第8号「忘れてしまっていたこと」(P196〜P199)より引用
https://goo.gl/kzPJpT

仲俣暁生さん小誌バックナンバー掲載作品
父という謎」(第3号)/「国破れて」(第4号)/「ダイアリーとライブラリーのあいだに」(第5号)/「1985年のセンチメンタルジャーニー」(第6号)/<夏は「北しなの線」に乗って 〜旧牟礼村・初訪問記>(第7号)
http://amzn.to/1BeVT7Y

2017/05/29

vol.8寄稿者&作品紹介31 東間嶺さん

昨年の7月24日(日)、たまたまクルマで津久井湖〜城山湖あたりを通りがかって、ずいぶん開けた(郊外化した)したもんだな、なんて思っていたのです。在町田市の私にとっては遠いところではないが、でもそんなにいくところでもなく。でっ、翌々日に「津久井やまゆり園」の事件が報道され、ほんとうに重苦しい気持ちになりました。そういうとき、自分のなかに澱んだものをアウトプットしたくもなるんですけどね(でもしない/最近あまり聞かない言葉だけど、とにかくROMる)。

東間嶺さんは今号への寄稿作について、自身が参加している【エン-ソフ】に自著紹介文を寄せています。そこには<言葉をこねくりまわすことによってしか輪郭を明瞭にできないものはあり、ぼんやりとではあれ解像されてきたその主題を、わたしは、これからも繰り返し繰り返し、扱っていくつもりでいる>という一節があり、それを読んで私はちょっと救われた気分になったりもしています。<こねくりまわ>した後の言葉を作品というかたちでアウトプットする場所(←っていうより回路)として、小誌を利用してくださるのはありがたいことだ、と。

今作に登場する<@uehara_ryu>さん。ROMってる私は少なくもなく〝彼〟と遭遇しています。それはネット上にいるらしい見知らぬ<@uehara_ryu>さんであったり、えっ!? あなたが、という実在する(ことが偶/必然でわかっちゃった)<@uehara_ryu>さんであったり。後者の場合はかなりショックなんですが、でも、そもそもなにかあるとROMる私のようなやつは、その行動において〝内なる<@uehara_ryu>さん〟を抱えていたりしないか、とも考えたりもしています。

作品の大きなテーマは<ショブン>という言葉。<ある高名な社会学者>は、私は月に1〜2度(たぶん)、新聞の人生相談コーナーで回答を読んだりしているはず。...もちろん、しっかりした議論がされるべきだと考えますが、しかし個人的には、今作で東間さんが描いた<わたしとアマノさん>の関係性のほうが印象的でした。そもそもネット上の別人格なんてありえるのかな、それ、過渡期を経ていずれ統一されてくんじゃ、なんてことも、いろいろ考えてしまったのです。



 ウエハラ@uehara_ryuという、アイコンに東京オリンピックのエンブレム選定で盗作を疑われたデザイナーの、目線モザイク入りコラ画像を使うそのアカウントは、数分前からニュース記事への反応をつぎつぎにツイートしている。

 生産性ゼロの垂れ流しゾンビに俺らの税金延々使われるとか、普通に無理なんですけどクソが。

 ウエハラのプロフィール欄には、アラフォーの底辺デザイン土方です。最近は政治に関心がありますが、意識は低めです。@いっさい反応しません、と書かれている。
 連投をひととおり確認しながら、わたしは上目遣いにアマノさんへ視線をおくる。カップ麺を食べ終えたアマノさんは、ゼリー状の栄養補助剤をくわえながらモニタをみつめ、iPhoneをかなりの高速でタップ&フリックしている。アマノさんの両親はまだ生きてるんだろうか? わたしはふと、そう思う。

ウィッチンケア第8号「生きてるだけのあなたは無理」(P188〜P194)より引用
https://goo.gl/kzPJpT

東間嶺さん小誌バックナンバー掲載作品
《辺境》の記憶」(第5号)/「ウィー・アー・ピーピング」(第6号)/「死んでいないわたしは(が)今日も他人」(第7号)
http://amzn.to/1BeVT7Y

2017/05/28

vol.8寄稿者&作品紹介30 吉田亮人さん

現在、東京・広尾のEMON PHOTO GALLERYにて個展「On Labor」を開催中(6/27まで)の吉田亮人さん。5/27のライター・石井ゆかりさん(星占いの!)とのトークショーは告知即満席で大盛況、そして、4/15~5/14に開催されたKYOTO GRAPHIE(京都国際写真祭) 2017で発表された「Falling Leaves」は、メディアでも大きな反響を呼びました(「祖母と生き、23歳で死を選んだ孫。二人を撮った写真家は思う」〜BuzzFeedNEWS)。同展で吉田さんと対談した作家・いしいしんじさんの日記には<吉田亮人さんの作品には、どんなものでも早めに触れておいたほうがよいです(4/22日付)>という一節があり...じつは《note版ウィッチンケア文庫》では3/18より小誌初登場となった「始まりの旅」を掲載させていただいておりますが、そのアクセス数も急増中でして、ビッグ・ウェーヴの予感がひしひしと伝わってきていました。

そんな吉田さんですが、3月に送ってくださった今号掲載作では、少しぼやいていました。写真集のための持ち込みで出版社をまわり、ある人から<今が80年代だったら吉田君、出版社からたくさん写真集を出せただろうし、取材の予算も組んでもらえただろうね>と言われ、<この時代に写真家になったことを呪え、と言わんばかりの編集者の言葉はショック>だったと...。私はその80年代末に出版業界に紛れ込んだ人間なので、吉田さんの気持ちもわかる、でも、編集者の言葉も...〝編集者個人の裁量ではいかんともしがたい状況〟であることはわかる。。。

あっ、もちろん今作での「ぼやき」は「前フリ」のようなもの。上記の逸話を受けて、吉田さんは「それなら自分でやる」と一念発起(1人出版者の私は甚く共感!)。友人で装丁家の矢萩多聞さんとともに、自費出版の写真集づくりに着手します。手縫い製本の初作品集「Brick Yard」のメイキング・ストーリー...本製作の過程でいろいろな人に出会い、アイデアが別のアイデアを生み、そのたいへんさと楽しさが、飾らない言葉で語られています。

「Brick Yard」で身につけたノウハウを発展させ、2人はさらに大胆な次の写真集づくりへと。バングラデシュの皮なめし工場の労働者を2年間に渡って撮影した「Tannery」の表紙(ブックケース)には、なんと現地の皮が使われているのです。撮影ではなく、皮の買い付けと加工依頼のためにバングラディッシュを再訪した吉田さん...この続きは、ぜひ小誌を手にとってお楽しみください(そして、2冊の写真集づくりを通じて実感した<いい写真集、とは一体なんだろう>という、吉田さんなりの問いかけにも...刮目!)。



 編集構成、表紙デザイン、タイトルフォント、紙選び、全てが僕にとって初めてのことだったが、多聞さんの豊富な知識と経験に助けられながら二人三脚で何とか仕上げ、印刷所に入稿することができた。ここまでに予算の大半を投入し、もうほとんど使えるお金など残っていないという時に問題が起きた。
「吉田さん、製本をどうしましょう。業者に頼んでやってもらうと、かなりの予算オーバーになっちゃうんだよねえ」
 多聞さんが申し訳なさそうに言いながらこう続けた。
「それで僕考えたんだけど、製本は自分達でやらない? 手縫いで」
 手縫い? 手縫いって言ったって、200部もあるそれを2人でやるなんて、あまりにも気の遠くなる作業だ。しかし予算のない僕に残された選択肢は、それ以外にはないも同然だった。
「2人でやるのは現実的じゃないから、製本やってくれる有志のボランティアを集めてやろうよ」
 僕の心を見抜いてか、多聞さんが言った。
「やりましょう」

ウィッチンケア第8号「写真集を作ること」(P182〜P187)より引用
https://goo.gl/kzPJpT

吉田亮人さん小誌バックナンバー掲載作品
始まりの旅」(第5号&《note版ウィッチンケア文庫》)/「写真で食っていくということ」(第6号)/「写真家の存在」(第7号)
http://amzn.to/1BeVT7Y

2017/05/27

vol.8寄稿者&作品紹介29 中島水緒さん

雑誌「美術手帖」や【エン-ソフ】(言論と、様々なオピニオンのためのウェブ・スペース)などで執筆中の中島水緒さん。アートだけでなく書評や映画評も手がけていらっしゃいまして、約1年前に知り合いになった後、いくつかの記事を拝読しました。浅学な私は専門的な内容になるとただただ「なるほど...」になってしまうことが多いのですが、中島さんが【エン-ソフ】に投稿した<「恋愛映画」は誰のためにあるのか――「(500)日のサマー」における「真実」と「言葉」(alternative edition)>...これはテーマが身近ですし映画も気になっていたので、SNSで〝予告編がいきなりRegina Spektorの「Us」でびっくり! 映画観て再読します〜〟なんてコメントし、鑑賞後にそのとおりにしたのでした。

ぜひ日頃は書かないようなことを書いてみてください(発表を前提に)、と中島さんに寄稿依頼のさいにお願いしました。評論系での精緻な分析が、まっさら状態ではどんな方向性を目指すのかな、なんて興味も湧いてしまったので。もしかすると掌編恋愛小説とか...いいじゃないですか。もしかすると「(500)日のサマー」評における(1)のパートにあった一節<「運命」も「物語」も、いうなれば人生の不条理に主体が溺れてしまわないための辻褄合わせ>...それを検証する創作的展開、とか。いいじゃないですか!

いただいたお原稿を一読して思ったのは、ソリッドだなあ。ええ、いまあなたがお読みになってるこの文章のようなダラダラ感の対極にある、無駄な言葉を削りに削った一篇でした。主人公は<私>なんですが、でもこの<私>は、作中では必要最小限にしか<私>として登場しません。むしろ<自分>と表現され、宿泊先のヒュッテにある薪ストーブなどと同等であるかのように描かれています。

作品の後半、なにも持たないで(携帯/財布/デジカメetc.)朝の八島ヶ原湿原を散策する<私>。<自然は人間の眼差しに先んじて、ただそこに在る。見る者は、私は、不要なのかもしれなかった>という、作品全体に通底する状況を表したような箇所もぐっときました。...そして、あることが起きるのですが、それはここでは書けません! ぜひ中島さんの作品を読んで、美しい湿原の朝をご堪能ください。


 空が、薄氷の弱々しさで朝の光を注いでいた。ヒュッテの周辺には人影ひとつなく、春らしさとは無縁な、緑色と枯れ草色が入り混じる湿原がひたすらに広がっている。風が薙いだ植物がてんでばらばらの方向を差していた。緩やかな斜面が導く先に階段状の土壇があり、さらにその遠くの高台に林が見えた。離れたところからでも木立の枝ぶりは細かく鮮明に映えて、自分の視力が研ぎ澄まされてゆくのを感じた。目を凝らせば、空気中に散乱して振動を続ける光の粒子さえも見えそうだった。

ウィッチンケア第8号「山の光」(P178〜P181)より引用
https://goo.gl/kzPJpT

2017/05/26

vol.8寄稿者&作品紹介28 我妻俊樹さん

昨年9月に「奇々耳草紙 死怨」そして先月には「奇々耳草紙 憑き人」 と、コンスタントに新刊を出し続けている我妻俊樹さん。竹書房からの著書は、たとえばアマゾンだと【 本 > 文学・評論 > SF・ホラー・ファンタジー】あるいは【本 > エンターテイメント > サブカルチャー > 霊界・恐怖体験】みたいなジャンル分けで掲載されていますが、小誌創刊号以来の作品群は、この分類には倣わないスタイル/内容である、と私は思っています。なんというか、無理矢理倣ってみると【本 > 文学・評論 > 我妻俊樹(トメ)】とか。

前号での我妻さんの寄稿作紹介で、私は〝ドアを開けて部屋に入ると〜〟みたいなことを書きました。今号への寄稿作「お尻の隠れる音楽」でも、読中〜読後の、なんか落ち着かない雰囲気(まさに<尻が何センチか椅子から浮き上がってる気がする>みたいな)は同じ。シャツのボタンをひとつずれで着てるみたいな...いや、シャツのボタンがずれているのはたしかなんだが表前立てはまっすぐでそれがなぜだかわからない...のほうがより違和感の居心地の悪さが伝わるでしょうか。もちろんそのシャツの縫製はしっかりしているし着心地もよいんですが。

あっ、でも今作は主人公である<ピエロ>のキャラクターがかなり立っている感じでして、奇妙な冒険物語ではあるものの〝入り口から出口へ〟と、しっかり紐付けて導かれた気分です。個人的には<そしてピエロは誰にも会わない道を南へ歩いていった。南へ向かっているかぎりピエロは少し機嫌がいい>という一節は妙に心に残りまして...<南>とはなにかの暗喩なのかな、みたいなことは考えずに、話の流れに身を任せました。

<ピエロ>が他の登場人物から<違う違う、ベッドですよ><そっちはトイレだよ>などと注意される箇所も、主人公の彷徨いっぷりをなにげに際立たせているように感じました。あっ、そして我妻さんが個別の作品内容について、小誌での発表後、具体的に語っているのを読んだことはありませんが(たぶんしてないと思う/語るべきことはすでに作品内に入れた?)、もしどなたかが評論/批評的なスタンスで我妻作品についてものしているものがあるならば、私はぜひ読んでみたいと思います!



「山の向こう側に住むってのはどう?」ピエロは提案した。
「だめだよ、家賃が高いから」
「じゃあ山のてっぺんとかさ」
「だめ。ケダモノがいる」
「ケダモノって?」
「猿だよ、猿。人間の振りして訪ねてきて玄関マットに糞していくんだよ。それから、いきなり結婚を申し込まれるって」
「猿に? 糞していく癖に?」
「そう。結婚が趣味らしいよ」
「いやだな、信じたくないな」
「だからあんたがもし誰かと結婚したら、その女は猿かもしれないよ」
「わかった。そしたら熱湯浴びせて殺してやるからさ」

ウィッチンケア第8号「お尻の隠れる音楽」(P170〜P176)より引用
https://goo.gl/kzPJpT

我妻俊樹さん小誌バックナンバー掲載作品
雨傘は雨の生徒」(第1号)/「腐葉土の底」(第2号&《note版ウィッチンケア文庫》)/「たたずんだり」(第3号)/「裸足の愛」(第4号)/「インテリ絶体絶命」(第5号)/「イルミネ」(第6号)/「宇宙人は存在する」(第7号)
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vol.8寄稿者&作品紹介27 ナカムラクニオさん

前号に続き、ナカムラクニオさんは今号にも断片小説を寄稿してくださいました。ナカムラさんは店主を務める荻窪のブックカフェ「6次元」をベースに、幅広い分野で活躍。昨年6月には「パラレルキャリア──新しい働き方を考えるヒント100」(晶文社刊)を上梓しましたが、その後もSNSを拝見していると、ご自身の現在進行形の興味を拡げて、そのまま仕事に繋げているよう...同書の<内容紹介>には「マキコミュニケーションを起こせ」「ツッコミビリティを大切に」「勝ち組ではなく価値組を目指す」「スローライフよりもフローライフを」といったフレーズが並んでいますが、これらだけでも感覚的に伝わるものがあるのでは(ピンときたら、ぜひ本を手にとってお確かめください!)。

ナカムラさんのツイッターを拝見すると、つい最近、ワークショップなどで長く魅力を伝えてきた金継ぎのCMが完成した、と(たしか、ミシンも購入して洋服づくりも、とつぶやいていた記憶...)。他にも「山形ビエンナーレ」での短編小説講座(のちに「ブックトープ松本」誕生のきっかけに)。「ことりっぷ」での「おさんぽ小説」連載。来月には6次元で『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』ナイト。私なんか年1冊の小誌でそうとうくたびれてますが...いや、きっと楽しんでいる人はくたびれないんです! (あっ、私も楽しんでます/くたびれながら楽しむ体質なんです←言い訳です〜)

今号に掲載した6篇も、ナカムラさんが選りすぐった言葉の結晶。<雨の匂い>にはペトリコール、ジオスミン、フェネチルアミンといった物質の名前を口にする女性が登場して<僕>を翻弄します。浅学な私はいち読者として、<僕>と同じようにそれら聞き慣れない名前に思いを馳せたりしていましたが...えっ、そんな結末に!? 400字に満たない物語での、鮮やかな場面展開が印象的です。

他にも「句読点」「冷蔵庫」「本」「コップ」が重要な〝断片〟として登場する作品が。<影愛>と題された作品はタイトルだけではちょっと想像しきれない内容? 逆に作品を読んだ後にタイトルの意味を探ってみると、描かれた世界がもう一度頭のなかでかたちづくられるような...。とにかく、私の野暮な紹介文より、ぜひぜひ、本篇を目にしていただきたいと思います!



「雨が降る前の匂いは【ペトリコール】という植物が、土の中で発する油の匂いなの。
ギリシア語で、石のエッセンスという意味なの」と彼女は言った。
雨が降る病院の喫茶店は、患者や見舞い客で溢れていた。
「はじめて知ったよ。詳しいんだね。そういうこと」と僕は答えた。
「『雨が降った後の匂い』は【ジオスミン】という土の中にある細菌が出す匂いなの」
「じゃあ、雨が降っている時の匂いは?」
「【フェネチルアミン】よ。恋愛状態の人間の脳で放出される神経伝達物質と同じなの」

ウィッチンケア第8号「断片小説」(P164〜P169)より引用
https://goo.gl/kzPJpT

ナカムラクニオさん小誌バックナンバー掲載作品
断片小説 La littérature fragmentaire」(第7号/大六野礼子さんとの共作
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2017/05/25

vol.8寄稿者&作品紹介26 須川善行さん

『ことの次第』というご自身もアーティストとして関わったCDについての「ことの次第」について(←ややこしいのでことの次第について把握してから先に進んでくださいねw)ご寄稿くださった須川善行さん。さてその『ことの次第』(1986年にカセットテープでは発売)ですが、現時点でググってみると《とりふね ことの次第CDそろそろ》さんと須川さんの2週間ほどまえのやりとりがヒット...そこには<多分今年出るであろう 再発CD ことの次第>と記してありまして、じつは桜の咲くまえに送っていただいたお原稿には<本当は昨年のうちに「三〇周年エディション」として出したかったのだが、まあ、いろいろありまして……>という一節もあり、なんだかスティーリー・ダン的な最終段階での作業が続いているようであります。

いずれ<アーティスト名は「とりふね+須川善行」、タイトルは『ことの次第』>というアルバムを聞き、あらためて読んでいただければ、と願いますが、しかし、しかし本作は、同アルバムで<編曲・演奏・録音等><(一曲のみ作曲も)>を担当した須川さんの音楽観(→そして実践へ)が溢れ出ていて抜群におもしろい。小誌前々号では間章の「時代の未明から来たるべきものへ」についてのご寄稿だった須川さんの、とりふねさんを介してのポップス論にもなっているのです。

須川さんはとりふねさんの音楽(作詞/作曲/歌唱)を<メロディも耳になじみやすく、歌もうまい>と評しています。しかし本作内には「わかりにくさ」「聴いたことのなさ」といった言葉も頻出。ええと、ロック...とくにニューウェーヴやテクノポップなんかを好んで聞いた人なら、上手な歌手が耳になじむ曲を演ったらそれが即ポップス(※この場合はみんなに受けるポピュラー・ミュージック、みたいな意味)ではなく、逆になんだか訳わからんのだが妙にポップ(ツボにはまる、とかクセになる、に近い?)、みたいなことは体感的にわかると思うのですが(いま私の頭のなかにはサイケデリック・ファーズの「India」の3:40あたりのインディア〜ぁドドドドドドドドが鳴ってます)...あれ、なに説明しようと思ったんだっけ?

須川さんが<万人向けのポップス>と<ターゲットを絞り込んだ音楽>を対立するものとして例に出し、音楽では<その間にこそいろんな可能性が広がっている>と語っている箇所、さらに<こちらとしては全部ひっくるめてポップスのつもり>と表明しているのが、個人的にはぐっときてしまいました。詳しくは、ぜひ小誌を手にとってお確かめください!



 が、あるときふと思い出した。そういえば、この再製作を決心した一〇年前には、この作品が世間の無理解にさらされることはある程度予想していたのだった! 昔のことなのですっかり忘れていた。どうもこの作品には独特の「わかりにくさ」があるらしいのだ。それについて書くことが、逆に『ことの次第』という作品についての説明を果たすことになるかもしれない。
 まず、主に鳴っているのがアナログ・シンセサイザー(コルグのPOLY-800とデルタがメイン)と安っぽいリズムボックス(Dr. Rhythm Graphic)なので、作りはチープな感じに聞こえるだろう。これはそのとおりで、弁解の余地はない。デッキが4チャンネルのカセットではなく、オープンだったのがせめてものこだわりなくらいである。だが、こちらの狙いは、それでも面白い音楽が作れるのではないかということなので、それがイヤな方は、どうぞウェルメイドなJ-POPや洋楽をお聴きくださいとしかいいようがない。

ウィッチンケア第8号<『ことの次第』の次第>(P158〜P163)より引用
https://goo.gl/kzPJpT

須川善行さん小誌バックナンバー掲載作品
死者と語らう悪徳について 間章『時代の未明から来たるべきものへ』「編集ノート」へのあとがき>(第6号)
http://amzn.to/1BeVT7Y

2017/05/24

vol.8寄稿者&作品紹介25 谷亜ヒロコさん

短くもなく生きたせいでもう身動きとれねぇ...谷亜ヒロコさんの今号寄稿作を読んで、長らく見て見ぬふりをしていた悩み、ひさびさに向かい合わされました(泣笑)。主人公は<片付けるのが得意ではな>くて、さらに<物を捨てるのも得意ではない>と語る、齢<人生50年プラス2年>の既婚女性...(設定がリアルタイムと仮定して)逆算/時代考証してみました。1987年に22歳。その2年後、大納会の日経平均株価は3万8915円。<結婚して20年>とあるので、いまでいうアラサーで6歳年上のパートナーと新生活を始めた...あっ、なんか細かく詮索してすいません、主人公の<私>さま。でも、この世代の人が捨てる〝もう着れなくなっちゃった服〟は、ファストファッションのそれとは違うだろうな〜、と...いや、そういうのもポイポイ捨ててたのが、所謂バブラー?

<捨てる物は、そっと包んでから捨てている。一番大事な捨てる洋服は、カレンダーの紙。二番目は、カタログの紙で包む。その他の物は、透明でないレジ袋に入れている>...このヒエラルキー、きっと<私>なりの理屈があるんだと想像しましたが、それは愛着度なのだろうか、それとも、値段? よくわかりませんが、でも捨てるモノを丁寧に弔ってあげている<私>のやさしさには、ちょっとぐっときました。

失敗だった高い服、とか、ホントに困りますよね。なにしろ失敗なので、着て出かけられない。なのでべつに痛んだりせず、ずっとクローゼットにあって場所をとる。月日が流れても、そこにある。流行が変わり加齢により体型も変わり...日々の暮らしでクローゼットを開けるたびに「失敗です」と思い知らされて、ついに「オマエなんか私の視界から消え去れ!」となる...うちのクローゼットにも21世紀になって2、3回しか着てないダッフルコートあるんだが、どうしてくれよう。。。

ごくふつうの日常の話かと思っていたら、後半になって...いや、それは、ちょっと待って! という展開。他人事ではないと身が縮みましたが、しかし<夫>さまは夢にも思っていなかった? なんだか仲睦まじいご夫婦のようすが、一転!! 衝撃の顛末は、ぜひ小誌を手にとってお確かめください。



 捨て方の離れ業もある。旅行の時になかなか捨てられない下着を身につけて出かけ、持ってきた新しい下着と着替えて捨てるのだ。この場合もホテルの人の目を気にしていることも手伝って、何かに包んでから捨てている。万が一、包むものがなかった時のために、使い古しのカレンダーを持って行ったことすらある。なぜか海外など遠くへ行って捨てられた時ほど、快感だ。
 捨てにくい電化製品などの大物は、一度押し入れの奥になんでもぶち込むという方法を取っている。すると、存在を忘れて行き、何年かしたら捨てやすくなる。

ウィッチンケア第8号「捨てられない女」(P154〜P157)より引用
https://goo.gl/kzPJpT

谷亜ヒロコさん小誌バックナンバー掲載作品
今どきのオトコノコ」(第5号&《note版ウィッチンケア文庫》)/「よくテレビに出ていた私がAV女優になった理由」(第6号)/「夢は、OL〜カリスマドットコムに憧れて〜」(第7号)
http://amzn.to/1BeVT7Y

2017/05/23

vol.8寄稿者&作品紹介24 野村佑香さん

きっと人生のなかでも「特別な1年」の締めくくりとなった今年3月に、野村佑香さんは小誌今号への寄稿作を送ってくださいました。タイトルにもある、<32歳>の記録。なんといってもお嬢さまの誕生(おめでとうございます!)が一番大きなできごとだったでしょうが、本作からは<2016年1月に妊娠が分か>って、無事出産を体験し、また新しい日常を積み重ね始めていく...その期間の、野村さんの心の動きも克明に書き残されています。野村さんは3歳頃にはもう子役モデルで、「木曜の怪談」などのドラマに出ていたのが10歳を過ぎたあたり。いやぁ、お嬢さま、すぐにその年齢に追いついちゃいそうで、成長したら、どんな話をお母さんから聞かせてもらえるんだろう。

<女の32歳は特別>。女子高生の野村さんはそう思っていた...と作品冒頭に記しています。<バリバリに働いてマノロブラニクの9センチヒールを履きこなし、キラキラと自信に満ちてウィットに富んで聞き上手>というイメージを持っていたと。...私はハイヒールを履いたことがないのでネットで調べてみたら、すぐに「オシャレは我慢」「電車は危ない」「青竹踏みが疲れに効く」なんて言葉が出てくるし(マノロブラニクの価格にも、なるほど〜、と!)。そんな野村さんが実際の32歳になった、とある日の服装は、<アディダスのスニーカーを履き、4枚重ねの靴下にレッグウォーマーを重ね>...なによりお腹のお子さんを気遣っての姿です。

助産院での自然分娩を以前から望んでいた野村さん。ご自身の出産に対する考えかた、そして行動に移した後のさまざまな体験も、丁寧に描かれています。身体の変化や心の揺れを率直に言葉にしつつ、それでもどこか冷静な視線で語られるのは、やはり事前にしっかりと調べ、ご家族を始めとする関係者との意思疎通もできていたからなのかな、と。今後、同じような未来を、と考える人にとってよき先人のアドバイスになるんじゃないかな。

作品の最後。32歳の野村さんは、女子高生の頃の自分と心中で対話します。<大きな宝物を得た私は、少しは強くなれたんじゃないだろうか?>というポジティヴな一節が印象的でした。〝ヒールの高さ〟に象徴される価値観とは違うなにか、を手に入れた女性の飾らない言葉。野村さんの今作が多くのかたに読まれることを願っています!



 妊娠8ヶ月になり、何をどう着ても、どこから見ても「妊婦」になった頃に、ようやく心が追いついた。やっと家の中でなくても妊婦としてゆったり構えられるようになったのだった。優先席はありがたく優先的に座らせてもらうし、友達の「お大事に」という言葉や気遣いも、心の底から「ありがとう」と受け取れるようになった。この頃から顔も優しく変わってきたように思う。お腹の子供には外で生きていけるように十月十日が必要だけれど、私にも、お母さんになる心の準備をするために同じくらい時間が必要だったのだな、と思う。

ウィッチンケア第8号「32歳のラプソディ イン マタニティ」(P148〜P152)より引用
https://goo.gl/kzPJpT

野村佑香さん小誌バックナンバー掲載作品
今日もどこかの空の下」(第6号)/「物語のヒツヨウ」(第7号)
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2017/05/22

vol.8寄稿者&作品紹介23 久保憲司さん

旅も戦いも、まだ続いている...久保憲司さんの初小説集「スキゾマニア」(ウィッチンケア文庫 02/タバブックス刊)の主人公<僕>は、小誌今号への書き下ろし寄稿作でも健在です。タイトルになっている「いいね。」はフェイスブックでおなじみの、あのボタン。私はわりと気楽に押すタイプですが、ある知り合いは「オレの『いいね!』はコメントを残すよりも重い」と言ってたし...いいね! ってべつにいいからいいね! ってもんでもなくて考えようによっちゃ神経磨り減りますよね。読み逃しなのかスルーなのか判然とさせないままでの「『いいね!』」しない」って意思表示も当然あるだろうし。あとFacebookページ立ち上げ時の<〜の「いいね!」をリクエストしています>って案内は、日本語がこなれてない(いまはやりの「忖度」がたりない!?)と感じます!

<僕>は「いいね!」だけでなく、ツイッターやインスタグラムやユーチューブにも言いたいことをたくさん抱えている。ネット全般への八つ当たりを装い、ユーモアを交えて描かれていますが、本質は〝悲しみ〟なんじゃないかな。<ネットに残っているのはヘイトを撒き散らすレイシストどもと、毎日花と猫とラテアートを投稿する人畜無害なお花畑ちゃんだけだ>。そして、<ネットは社会の鏡だ。理想郷になるはずだったネットの世界は、結局現実そのままの姿を鏡に映し出している。社会の鏡は、現実の世界をより良く変えていくはずだったのに>...この一節は、作中でもひときわアツいです。古〜いたとえ話をすると、ジェファーソン・エアプレインがまわりまわって「シスコはロックシティ」でした(KBCバンドのオダやんでも可)、みたいな悲しみへの一撃。

物語はネットの話題から京都へ。土木作業と遺跡調査の逸話...私のような関東のヘタレにはひたすらつらい仕事に思えましたが、そういえば大西寿男さんも以前、考古学を題材にした作品を発表していて、関西は太田道灌以来の「東のほうの京」とは土の下の厚みが違う!?

作品の舞台は、さらに流れて沖縄へ。この地での<僕>には、ふだんあまり思い浮かばない言葉なんですが「落魄」...ある種のダンディズムを感じてしまいました。デレク・ジャーマンと太陽を並べた色彩感覚は、久保さんならではの鮮やかさ! ...あっ、そして久保さんの「スキゾマニア」収録作品「デモごっこ」は、いまnote版ウィッチンケア文庫で無料公開中。ぜひご一読(試し読み)ください。併せて、久保さんと長谷川町蔵さんの対談レポートも、同書や今号掲載作をより楽しむ一貫として、ぜひぜひ、ぜひ!!



 バンドをやっていた頃から、仕事にあぶれたら京都で遺跡掘りのバイトをやろうと思っていた。炎天下、汗をダラダラと流し、白いタオルで顔を拭きながら、労働っていいなとつぶやくのが夢だった……というのは嘘。遺跡掘りなら、細かい砂を落としたりする仕事なんか、きっとサボれるだろうと思ったからだ。そして、サボってボーッとしているうちに、きっと僕のなかの〈物語〉も転がり出すはずだと思っていた。
 当時のバンド仲間で、今は遺跡掘りの仕事を発注する側の人間になっているヨンに電話で聞いてみた。
「週二日くらいのバイトでも、やらせてくれるん?」
「うちは構わんよ、はじめっからそういう契約やったら、うちはいつでも人が欲しいから。当日、行かれへんわというのはあかんけど」
「ほんま、月、火とかでもいいの」
「いいよ」
「昔みたいにヒッピーのおっちゃんとかもバイトやったはんの、俺でもやれるかな」
「やれるよ。70のお爺ちゃんでもやってはる人がおるから」

ウィッチンケア第8号「いいね。」(P142〜P147)より引用
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久保憲司さん小誌バックナンバー掲載作品
僕と川崎さん」(第3号)/「川崎さんとカムジャタン」(第4号)/「デモごっこ」(第5号&《note版ウィッチンケア文庫》)/「スキゾマニア」(第6号)/「80 Eighties」(第7号)
※第3〜7号掲載作は「スキゾマニア」(タバブックス刊)として書籍化されました。
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2017/05/21

vol.8寄稿者&作品紹介22 美馬亜貴子さん

携帯電話の修理工房に勤め、故障したスマートフォンの内部データを救出したりするのが仕事の<俺>。その<俺>の一人語りで進む美馬亜貴子さんの今号寄稿作...客観的に考えると「なんてことしてるんですか!」なのですが、しかし物語は<俺>の理屈、<俺>の正義、で佳境へと向かう。「スマホでLINE」ってつまりこういうことなんだよな、と背筋がひんやりするような内容ですが、しかし<俺>がウォッチし、歪んだ肩入れをしてしまうベテラン俳優・仙波義宏は、とても魅力的な人物として描かれています。

私も性格的に独りよがり気味なので、<俺>の理屈の組み立てかたがわかる箇所、なくもなかったです。情報入手までのプロセスはともかく、義(公)憤を感じてのアクションだったんだろうな...いや、でもそれもモノローグとして記されていることなので真に受けていいのかわからないんだけれども...読んでいる最中にどんよりした重さを感じないのは、とにかく仙波さん(とマネージャー氏)が好人物なのと、よい意味で事実関係に謎が多い(読者はずっと<俺>視点でしか物事を知り得ない)からかもしれません。

作中に登場するLINEでのやりとりが人なつっこいのも印象的でした。昨今は電話どころかメールも「コミュニケーション手段として重い」と言われているとか。私はSNSのDMでもいまだに「こんにちは。お世話になっております。改行/用件/改行。どうぞよろしくお願い致します」みたいな風にしかデジコミュできないんですが、まあ、どんなツールを使っても人間性って出ちゃうもんですね。

作品終盤に客観的な目を持った人物が登場することで、物語は急展開します。衝撃の結末はぜひ、小誌を手にとってお確かめください! ...そして美馬さんには今年2月、長谷川町蔵さんと久保憲司さんのトークショーでの司会を務めていただいたこと、あらためて感謝致します!



 工房は青山にあるので、場所柄、芸能関係者の持ち込み依頼も多い。たいてい持って来るのは事務所の人なのだが、修理時に必要な委任状や写真フォルダに入った自撮りデータで持ち主がわかることがある。プライベートな情報を目にする業務なので、あのアイドルとあの俳優が付き合ってるとか、好感度タレントと言われているあの芸人が実はメンヘラ気味だとかいった秘密を知ってしまうこともしばしばだ。もちろん守秘義務があるため他言はしない。誰にだって表と裏の顔はあるし、ましてや先方はイメージを売る〝プロ〟だ。芸能人は、表では皆、唯一無二の個性を持った特別な人間のように振る舞うけれど、その実態は多くの人間が関わる〝チーム〟に近いものだということを、俺はこの仕事をするようになってから知った。

ウィッチンケア第8号「ダーティー・ハリー・シンドローム」(P138〜P143)より引用
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美馬亜貴子さん小誌バックナンバー掲載作品
ワカコさんの窓」(第5号)/「二十一世紀鋼鉄の女」(第6号)/「MとNの間」(第7号)
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2017/05/20

vol.8寄稿者&作品紹介21 長谷川町蔵さん

長谷川町蔵さんの今号掲載作「三月の水」は、町田が舞台の書き下ろし〜「あたしたちの未来はきっと」(ウィッチンケア文庫 01/タバブックス刊)を読んだかたなら、きっと「あっ、あの子じゃん!」と嬉しくなるような一篇です。タイトルはElis Regina & Tom Jobim - "Aguas de Março"に由来...作中には町田天満宮が登場しまして、ここは夏祭りなどにはちょいヤンキーな地元ッ子が車座で露天の食べものをむしゃむしゃしてたりするんですが、長谷川さんの手にかかると、なんとスタイリッシュな場所に生まれ変わってしまうことか! 「住みたい町ランキング」に好影響がありそうですw。

語り手の<ぼく>の、ちょっと異界に迷い込んでしまったようなモノローグで物語は進みます。じょじょに霧(謎?)が晴れていき、えっ!? という展開は「あたしたち〜」の読後感を彷彿とさせ...って、ネタバレなしで説明するのはとてもむずかしい作品。ぜひぜひ、本編でお楽しみください!

散りばめられた数々の固有名詞が、作品のトーンを節々で調律しているように感じました。そして東京という都市の構造を、登場人物の言葉に託して描いた箇所(<鉄道の要所の駅には、それぞれターミナル駅の縮小コピーみたいな郊外の盛り場がある>等)は、今年2月に開催された長谷川さんと山内マリコさんの対談に通じるものがあります。

長谷川さんは先日、「ミュージックブックカフェ」 に出演して「あたしたち〜」の話を(聴取可能)。また「文學界」2017年5月号には「故郷に帰って、ブルーになって」という、やはりご自身の初小説集にまつわるエッセイを寄稿されています。同書を編集担当させていただいた私としては、ますますこの作品が拡張して、いずれ映像作品になればいいのに、と願っています! あの9人の女子、誰が適役なんだろう、とか思い浮かべながら。



 外に出ると、まだ三月だというのにおそろしく寒い。Tシャツ1枚のぼくは震えあがってしまった。目の前にはトラックやバスがせわしなく行き交っている。さすが東京だ。しばらく大通りを進んでいくと、そこから斜め右に入った細い舗道の方がさらに賑わっている様子が伺えて、そこが公園通りの入り口だとわかった。
 日曜の夕方の公園通りは、人波に埋め尽くされていた。マニアックなブックストアやエスニック料理のファストフード、そして雑貨店のカラフルな看板が、身振り手振りで行き交う人々を誘っているみたいだった。雑踏をかき分け、しばらく歩くと、ぼくのガールフレンドが一番行きたがっていた「109」があった。そのすぐ横にはラグジュアリーなブランドを扱う東急百貨店もある。ここがあの渋谷の中心か。しばらくの間、ぼくは感動して立ち尽くしていた。

ウィッチンケア第8号「三月の水」(P128〜P135)より引用
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長谷川町蔵さん小誌バックナンバー掲載作品
ビッグマックの形をした、とびきり素敵なマクドナルド」(第4号&《note版ウィッチンケア文庫》)/「プリンス・アンド・ノイズ」(第5号)/「サードウェイブ」(第6号)/「New You」(第7号)
※第5〜7号掲載作は「あたしたちの未来はきっと」(タバブックス刊)として書籍化!
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2017/05/19

vol.8寄稿者&作品紹介20 柳瀬博一さん

小誌第5号より国道16号線にまつわる作品をご寄稿くださっている柳瀬博一さん。今号では室町時代後期の武将・太田道灌を<国道16号線の中興の祖>として捉えた一篇です。太田道灌...私の教養レベルだと、高校の「日本史」教科書の欄外で<江戸城をつくった人>みたいに紹介されてたかなぁ、なんだけど、でも教科書でだったら坂本龍馬もたしか同程度の扱いだった記憶が。でっ、龍馬といえば福山雅治/玉木宏/江口洋介/内野聖陽(原田芳雄でも藤岡弘でも...金八先生でも)と誰がやっても「〜ぜよ!」みたいな〝国民的キャラ〟が思い浮かびますが、道灌は? 柳瀬さんも<いまひとつ知名度が低い。大河ドラマで主人公になってもよさそうだし、原哲夫さんが「花の慶次」的に漫画にしてくださってもよさそうである>と語っています。

...そうなんですよね。私が子どもの頃にはすでに司馬遼太郎の「竜馬がゆく」が大人気で(夢中で読んだ/「燃えよ剣」のほうがさらに熱かった)、いまに繋がるイメージがもう一人歩きし始めていましたが、しかし後年になって、じつはその〝国民的キャラ〟は若き司馬が歴史をオルタナティヴに解釈して挑戦的に創作したものらしい、と知ったり。再び寄稿作の一節を引用しますと、<誰か太田道灌を主人公とした漫画でも小説でも書いてくれ!>...ほんと、のちのち大河ドラマでスーパーヒーロー化したら、柳瀬さんこそが道灌ブームの仕掛け人!

作内には扇ガ谷上杉定正という、道灌よりさらに「...誰だっけ!?」な人名も登場しますが、NHK連続人形劇「新八犬伝」(の関東管領!!)や「シン・ゴジラ」と紐付けて解説されると、俄然、リアリティのある人物として浮かび上がってきました。扇ガ谷は庵野版ゴジラが上陸した鎌倉市の地名、道灌が暗殺されたのは伊勢原市...まさに国道16号線界隈の歴史。城作り/城攻めの名人・太田道灌のものであった<横浜市の小机城。東京都町田市の小山田城。埼玉県川越市の河越城。同じく埼玉県岩槻市の岩槻城>...いくつもの点が、16号という線で繋がっていく。

江戸=徳川ではなかったかもしれないアナザーストーリー。最近、「プリファブ・スプラウトの音楽」という、パディ・マクアルーンがプリンスやマイケルやマドンナと同じように語られた素敵な本が出ましたが、道灌&定正も龍馬&松陰/秀吉&信長/頼朝&清盛みたいに「名前だけでOK」の日が、くるのかもしれない!? ぜひぜひ小誌を手にり、楽しい想像力を膨らませてください!



 かくして、太田道灌は、海に面した鎌倉や横浜の六浦、小机、河越、岩槻と、国道16号線でぐるっと回ることができるポイントを押さえ、中枢の江戸城を設け、いまの「東京の都市のかたち」を目に見えるようにした。
 ちなみにこの道灌がつくった「東京の都市のかたち」をその後の関東制圧に利用しようと考えて行動したのが、北条早雲を筆頭とする後北条家であり、一度は捨てられて草ぼうぼうだった江戸城に目をつけて、リノベーションして江戸という街をつくり、同心円状に関東をつくりなおしたのが徳川家康である。

ウィッチンケア第8号「国道16号線をつくったのは、太田道灌である。」(P122〜P127)より引用
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柳瀬博一さん小誌バックナンバー掲載作品
16号線は日本人である。序論 」(第5号)/<ぼくの「がっこう」小網代の谷>(第6号)/「国道16号線は漫画である。『SEX』と『ヨコハマ買い出し紀行』と米軍と縄文と」(第7号)
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2017/05/18

vol.8寄稿者&作品紹介19 西牟田靖さん

今年2月に「わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち」を上梓した西牟田靖さん。<年間20万組超が離婚する現代――。ある日、子どもたちと会えなくなってしまった父親が急増している。彼らはなぜ子どもに会えなくなったのか? 男たちが歩むそれぞれの人生を、自身も当事者であるライターが描く。>と版元(PHPエディターズ・グループ)のHPでは紹介されています。3月には文禄堂高円寺店で西牟田さんと枡野浩一さんのトークイベントも開催(伺いたかったのですが、ちょうど小誌今号の編集作業が大詰めで、残念)。私は「本と雑談ラジオ」愛聴者で、同書が紹介された回(第29回/「読んで具合悪くなった」by 枡野さん)も聞いてたのにな...。

西牟田さんの今号寄稿作は「わが子に〜」から派生した作品(小説版)、と言える内容です。同書のためにさまざまな男性を取材した西牟田さん。そのすべてを本に掲載できたわけではなく、でも、いまだに心に引っ掛かっている逸話を発表するとしたら...本作が寓話のスタイルをとっていることの意味を、ぜひ感じ取ってくださればと思います。

主人公・北風男の台詞<男は仕事、女は家を守る。夫婦の役割分担はちゃんと出来てたし円満だったんだ>。そして、その妻が実父から言われる<家を守るんがおめえの仕事ったい>という台詞。最近は「男は〜」「女は〜」ってもの言いに、センシティヴな時代になったと思いますが、ここでの「役割」とか「仕事」とかいう規範(?)からこぼれ落ちているものが原因となって、物語は波風立ちます。夫を嫌いになったわけではないが、妻には妻の〝病む理由〟があった...。

作品後半に登場するアマゾネス村、そして桜山。深く踏み入っての描写はありませんが、なんとも不気味なコミュニティです。<聞こえさえすれば、北風妻にはそう聞こえるはずの声>が、なぜ届かないのかな? 私には<わが子>がいませんが、西牟田さんの問題提起の肝は、じつはこのへんにあるんじゃないかと思いました。本作を先に読んだかたは、「わが子に〜」、そして「サイゾーウーマン」掲載の西牟田さんインタビューも、併せてぜひ、ぜひ、ご一読ください!



 北風妻は娘を連れて、近くにある火の国山のそばに引っ越しをしました。二人を受け入れたのは、女ばかりが住んでいるアマゾネスという名の村でした。この村は、子どもを連れて逃げ出した母親と連れられてきた子どもたちを積極的に受け入れることで有名でした。この村は逃げようとする母親にしか見えない、秘密の場所にありました。実際に暴力を振るわれたり、振るわれたと主張する女性たちが逃げ込んだりする一方、単なる夫婦ゲンカで飛び出した女性に対して、村の女性たちは「あなたは暴力を振るわれたのよ。そうに違いないわ」と決めつけたり、「あなたの旦那さんは暴力夫よ」と毎日言って聞かせたりします。それは子どもたちにも同様で、「お父さんは悪い人ね」と毎日毎日言い聞かせました。

ウィッチンケア第8号「北風男」(P116〜P120)より引用
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西牟田靖さん小誌バックナンバー掲載作品
「報い」>(第6号)/「30年後の謝罪」(第7号)
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2017/05/17

vol.8寄稿者&作品紹介18 小川たまかさん

小川たまかさんの今号寄稿作のタイトルにある「強姦用クローン」とは...作内の最初のほうにある説明箇所を引用してみましょう。<身内を強姦された研究者が作り出したクローンで、性加害傾向を持つ人の前に現れる。加害者はそのクローンを見ると襲わずにはいられない>。それで、この一節を読んで、あなたはどんなビジュアルのクローンを思い浮かべましたか? えっ、私ですか? ...もし真っ新な状態でこの一文に出くわしたら、たとえばキューティハニーのような...ですかね。

Yahoo! で小川さんの記事に接する機会が増えました。現在(2017年5月中旬)70弱の記事が閲覧可能ですが、性犯罪に関するものが多くあります。ライターである自身の重要なテーマとして、小川さんはこの問題に取り組んでいる──そう私は認識しています。杓子定規に語れないテーマなので、ときにはコメント欄が荒れたり、議論があさっての方向に暴走したり。

昨年の冬、小川さんと原稿の打ち合わせ。Yahoo! の反響やSNSの話もして、「伝えようとして言葉を重ねてもなかなかむずかしい」みたいなこと...併せて、「記事(ノンフィクション/ジャーナリズム)のスタイルで伝わらないことが、たとえば物語(フィクション/小説)のスタイルだとわかってもらえる(伝える、とか理解される、とかと微妙に違う?)ことがあるかもしれない」みたいなことを話し合いました。じつは、すぐ近くの席で吉本ばななさんと松田青子さんが対談している(偶然)、というひじょうに気が散っちゃう状況だったのですが〜(泣笑)。

今回の寄稿作は、そのときの話を踏まえて小川さんが書き上げたもの──そう私は認識しています。最初のテキストを拝読した段階で、私なりの意見も申しました。そのときに痛感したのは、私におけるところの高度な〝既成概念浸食され度〟とか、あとは、なんだな、表現のスタイルは千差万別だよな、みたいなことも、あらためて(個人的には今作を通じていくつもの気づきがありました)。いまは発行人として、さまざまな立場の人に本作を読んでもらいたいと願っています。どうぞよろしくお願い致します!



 これまでクローンに性的加害行為を行った者は、相手がクローンだったとは気づいていない。その時点で、人間に対する加害行為を行ったと同じではないのか。確かに被害者はいない。しかし加害的精神だけではなく加害行為もそこに確かに存在したのだ。それが見過ごされていいのだろうか? 「強姦用」クローンを「強姦用」クローンと知らずに「強姦」した者は、人間にも性的加害行為をする可能性があることは言わずもがなであるばかりか、加害行為を行ったその個人において既遂と変わらないのではないか? だってクローンだと気づいていなかったのだから。

ウィッチンケア第8号「強姦用クローンの話」(P110〜P115)より引用
https://goo.gl/kzPJpT

小川たまかさん小誌バックナンバー掲載作品
シモキタウサギ」(第4号)/「三軒茶屋 10 years after」(第5号)/「南の島のカップル」(第6号)/「夜明けに見る星、その行方」(第7号)
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vol.8寄稿者&作品紹介17 大西寿男さん

小誌の校正と組版も手がけてくださっている大西寿男さん。昨年はあの石原さとみ選手主演のテレビドラマ「地味にスゴイ! 校閲ガール」が人気でしたが、大西さん、「けっこう楽しんで見ました(笑)」と、やさしい眼差し&懐が深い! あんなやついねーよ、と言っちゃったらおもしろくもなんともない/はい、私もコンプリートしました(「逃げ恥」とセットで慌ただしい秋の夜長だったなぁ)...でっ、「校閲ガール」を見て自分が2004年にノベライズを担当した「ウォーターボーイズ2」というドラマのヒロインが同選手だったことを唐突に思い出したりもして、えっ!? あの頃はまさか後にこんな怪/快優さんになるなんて、とびっくり!!

さて、寄稿者・大西さんの今作は、去年暮れに文芸誌『革』26号にて発表した「太一のマダン」の続編です。舞台は昭和40年代の神戸〜ちゃぶ台にどかっと座ったおとうさんが瓶ビールの栓を抜いて喉を潤すような時代の話。小学校二年生の太一は学級委員に選ばれましたが、教室では<ゆうべテレビで見た『タイガーマスク』がどれだけすごかったか、地上最強の悪役〝赤き死の仮面〟登場の衝撃を実演つきで騒いで>しまうような、昭和な言いかたをすると、腕白な男の子。

副委員長に選ばれた岩崎悦子がいいんです! 太一は淡い恋心を持っている...というか、小学生の頃はたいがい男子より女子のほうが大人びていてクール、っていうか、これも昭和チックに言うと、おしゃまさんとかおませさんとか、その感じがさり気なく、でも細やかに描かれています。男子は、社会人になってすぐの同窓会に出席する動機の半分くらいは、岩崎悦子みたいな女子の〝その後〟を目視確認したいから、ではないかな(※個人の感想であり同意を促すものではありません)。2人が湊先生に怒られて廊下に立たされるシーンは、まるでデートのようにドキドキさせられました。<悦子は涼しい顔で、真っ直ぐ前を向いて立っている>...いいなあ。

冒頭と最後に出てくる神社。太一にとっては大事な場所のようで、本篇だけを読むとちょっと謎も残ります。そこは、ぜひ大西さんに続編を書いてもらって...もしこの物語が青春大河として膨らんだら、きっと岩崎悦子は太一にとってのFemme fatale、なんだろうな。ぜひぜひ、平成の時代までの2人の成長を語ってください!



 そんなわけで、岩崎悦子は二年三組四十三人の中で、かなり浮いた存在だった。去年、小学校入学のさいに東京から引越してきたこと、家が庭つきの一戸建てで、お父さんが銀行勤めのサラリーマンであること、お母さんが自宅でピアノ教室を開いていることも相まって、アパートや長屋の子どもたちが通う真しん栄えい小学校にあって、くっきりと異彩を放っていた。
 悦子が女の子の仲よしグループの会話に入ろうとして、ろこつにイヤな顔をされたり、休み時間にぽつんと席で本を読んだりしている姿を見かけるたび、なぜか太一の胸はキュンと音を立てるのだった。

ウィッチンケア第8号「朝(あした)には紅顔ありて──太一のマダン」(P104〜P109)より引用
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大西寿男さん小誌バックナンバー掲載作品
<「冬の兵士」の肉声を読む>(第2号)/「棟梁のこころ──日本で木造住宅を建てる、ということ」(第3号&《note版ウィッチンケア文庫》)/「わたしの考古学 season 1:イノセント・サークル」(第4号)/「before ──冷麺屋の夜」(第6号)/「長柄橋の奇跡」(第7号)
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Vol.8 Coming! 20170401

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yoichijerryは当ブログ主宰者(個人)がなにかおもしろそうなことをやってみるときの屋号みたいなものです。 http://www.facebook.com/Witchenkare