2017/05/04

vol.8寄稿者&作品紹介04 荻原魚雷さん

荻原魚雷さんとは昨年11月、高円寺でお会いしました。じつは小誌のデザイナー・吉永昌生さんいきつけの素敵なお店が高円寺にありまして、そこのカウンターでマスターを介して吉永さんと荻原さんが数年前に知り合いとなり、そのご縁が繋がって今号へのご寄稿、となったのでした。お店の名前は「ペリカン時代」、そして、マスターの増岡謙一郎さんはロックバンド<ペリカンオーバードライブ>のVocal&Guitar。...小誌は文芸創作誌と名乗っていますが、発行人の部屋には本よりCD等音楽モノのほうが圧倒的に多いタイプの人間でして...音楽が好きだと、いいことがあるな! 余談ではありますが、私はユーチューブで増岡さんの演奏を見てお店を訪ね、帰り際に「赤い335かっこいいですね!」と。増岡さんは笑顔で「ありがとうございます...エピフォンですけど」。私「スイマセン(...恥)」。。。

荻原さんの何気ない身辺雑記には、以前から強い意志が秘められているなと感じていました。世の中に動じずマイペースを貫くことへの強い意志=穏やかな過激さ、とでもいいますか。私も常々そうありたいと頭では思ってはいるのですが根が小心者のためいつも行き当たりばったりで自分を見失い(<恥の多い生涯を送って来ました。>/日々更新中)。...もとい、そんな荻原さんの強さの源泉でもありそうな一端を、今回の寄稿作から窺い知った次第です。なにしろ、冒頭に<高校時代にアナキストになった。高二の夏だ>と。〜に憧れた、とかではなく、きっぱり「なった」と。その理由も明記されていますので、ぜひ本篇をお読みください!

作品内にはある種の「真理」を端的に言い表したような一節が散りばめられています。<自由を追求すればするほど、周囲と摩擦が生じ、不自由になる><この三十年くらいのあいだにさまざまな紆余曲折があったが、ほぼ身から出た錆だと納得している。錆も含めて、自分をかたち作っている>etc.。荻原さんはなんとなく流れていくような言葉は、きっと全部推敲で削ってしまうんだろうな...削った後の、自身の体感で残した言葉だけで文章を組み立てているんだろうな、と感じました。その作法は、きっと荻原さんの生活にも相通じるものだろうな、と。

ご自身のブログでは、今作について<ここ何年かでいちばん苦心して書いた文章かもしれない>と記してくださって...あらためてご寄稿感謝致します。チェルノブイリ、天安門事件、ベルリンの壁...その頃の日本はとっても浮かれた空気だったのに<アナキストとして社会運動に参加>していたとは! 泡に弾けていた私とは地金が違う、と感服致しました。



 アナキストになったからといって、全身黒ずくめの服装をして、何かしらの過激な行動をしたわけではない。ただ、不服従の姿勢は貫くことにした。やりたくないことはしない。眠くなったら寝る。眠かったら起きない。帰りたくなったら帰る。
 傍目に見れば、単にわがままで怠惰な青年だったとおもう。集団行動が苦手でひとりでものを考えるのが好きな自分の気質に、たまたまアナキズムという思想がはまったともいえる。
 アナキズムは現実を受け入れたくない人間にとっては便利な思想である。この便利さには数々の欠点がある。一々、制度を疑い、常識を疑い、しきたりを疑い、それに従うか従わないかを考えないといけない。周囲からは面倒くさい奴とおもわれるし、本人だって面倒くさい。

ウィッチンケア第8号「わたしがアナキストだったころ」(P020〜P024)より引用
https://goo.gl/kzPJpT

Vol.14 Coming! 20240401

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